世界でもっとも力のあるデザイナーと言えば、間違いなく「神」である。なにしろ、私たちが生きているこの世界をデザインしたのは神にほかならないからである。
しかも、神は究極のデザイナーとしての特権的な地位を脅かされないために、人間に対して偶像崇拝を禁止した。偶像をデザインしてはならないというのだ。
ところが、人間にはデザインへの欲望がある。最古級の美術は、ヨーロッパやアフリカの洞窟壁画だが、そこでは人間のまわりを行き交う野牛などの動物の姿が実に生き生きと描かれていた。
そうした壁画のなかで神が描かれたというわけではない。しかし、世界宗教が発展を見せるなかで、人間は、偶像崇拝の禁止に抵触しない形で神聖なるものを描いていった。
キリスト教は三位一体の教義など、多神教的な側面があったので、やがて偶像崇拝の禁止など頓着しなくなり、キリスト教美術の世界が花開いた。
イスラム教は、禁止を厳格に守りつつ、美への欲求も捨てがたく、礼拝施設であるモスクを幾何学模様のタイルや、聖典「コーラン」のことばで埋め尽くした。
いかに宗教がデザインされてきたのか、まさに本書はそれをテーマにしている。
学問分野の一つに「図像学」があり、本書はその試みとも言えるが、大きな特徴は、文字の形や書体への強い関心である。「コーラン」に使われる書体の比較や、モンゴルの複雑で形がおもしろいソヨンボ文字など、私にも勉強になることが少なくなかった。
宗教の教えは、最初口伝されていた。仏教の教えもそうだし、イスラム教の神の啓示もそうだった。それがやがて文字で記され、聖典が成立することになる。
しかし、文字は誰でも読めるわけではなかった。それに、聖典に使われる言語は、ラテン語やギリシア語、サンスクリット語など、庶民が日常使うものではなかった。したがって、近世あるいは近代になるまで、庶民は聖典を直接には読めなかった。聖職者の説法でそれを知るしかなかったのだ。
本書で一番興味深いと感じたのは、宗教改革以降、プロテスタントとカトリックが「文字かヴィジュアルか」で争ったところである。
宗教改革では、聖書にもとづく信仰の重要性が強調されるようになり、ルターの訳したドイツ語の聖書は、グーテンベルクの印刷機で大量に印刷され、庶民の識字率を上げることに貢献した。
ところが、カトリックの側は、絵が中心の木版画に頼り、徹底してヴィジュアルにこだわった。プロテスタントとカトリックは激烈な宗教戦争をくり広げるが、こうした分野でも激しく争ったのだ。
デザインが明らかにしてくれる新しい宗教理解の方法があるわけである。
まつだゆきまさ/1948年、静岡県生まれ。グラフィック・デザイナー。自称デザインの歴史探偵。出版社「牛若丸」主宰。『眼の冒険』で講談社出版文化賞ブックデザイン賞受賞。近著に『独裁者のデザイン』『にほん的』『AB+』など。
しまだひろみ/1953年、東京生まれ。作家、宗教学者。近著に『キリスト教の100聖人』『帝国と宗教』『大還暦』『宗教の地政学』など。