本作は未来の首相と目されながら、東京都知事の任期中にテロに遭った二世政治家・大沢こうえん(本名は大澤光延(みつのぶ))の伝記という形式を採った長編小説である。彼の知人でもある世界的な芸術家・河原真古登(かわらまこと)が大澤家の後ろ盾である宗教団体・萬葉会からの依頼を受け、未だ病褥にある大澤の半生を自身のアート作品として著述するという結構だ。昭和の終焉からコロナ禍に至るまでのおよそ30年間、ひとりの人物を軸としながらも、政治、恋愛、宗教、芸術、様々を内に孕んで物語は破格のスケールへと発展していく。
象徴的に登場するぶらんこのように河原の語りは振れる、時系列を行き来する。彼は芸術家として常に越境を試みてきた。例えば、絵画と写真における「現在」の越境、そうして顕現するはずの「第三の『現在』」への志向。執筆においてもその態度は貫徹され、客観と主観それぞれの記述を重ねることで「現代(いま)」を解説しようと目論む。従来の伝記文学のように客観的に物語られる一方で、影を潜めるはずの語り手=書き手である河原が「僕」として語りもする。彼は大澤の臨死体験に自らも臨み、伝記に欠落した存在、拘置所で自死したテロリスト・Tをその身に憑かせる。そこで物語に原初の海のような混沌が、神話性が滲む。
更に異様なのは、語り手=書き手が変わることだ。河原の死去が、また萬葉会内の委員会=「わたしたち」が伝記の執筆を引き継いだことが途中で明かされる。その経緯や時々の状況を「わたしたち」が語る一方で、生前の河原かつTにまつわる出来事が残された資料から再構成され、客観的に三人称で、時に各々の一人称(河原=「僕」、T=「俺」)で語られる。河原の意志を尊重し語りを模倣し、そうして伝記に奉仕する故にこそ、物語る「現在」と物語られる「現在」は往還し続ける。そして、躊躇いつつも年月日の記載が現代史においては空疎だと断じられて以降、「現在」の輪郭は解け、境界は揺らぎ、伝記は無時間性を、河原が臨死体験の際に現実かつ黄泉の場で感じた、現在かつ永遠のような手触りを帯びていく。
終盤、語り手=書き手は河原の相棒であった若い人物へと再度交代する。一億総自粛により街が沈黙した昭和の終焉から始まった物語は、かつての沈黙を知らぬ平成生まれの彼女へと、コロナ禍での沈黙を経験した新たな世代へと受け渡され、日本神話へと接続される。本作はその無時間性でもって時代の底を流れ続け、我々がいずれ再び強いられるであろう沈黙へと点綴されるはずだ。そこでラストシーンのようなメロディが流れるかどうか、言葉が点るかどうか。この伝記への「念(おも)いが違うの」と彼女は記している。混迷の時代を愛によって語ることが出来るのか、一つの答えが刻まれていると同時に、次の世代へと託され続けてもいる。
ふるかわひでお/1966年、福島県生まれ。98年、長篇小説『13』でデビュー。『アラビアの夜の種族』で日本推理作家協会賞と日本SF大賞、『LOVE』で三島由紀夫賞、『女たち三百人の裏切りの書』で野間文芸新人賞と読売文学賞を受賞。現代語全訳を手がけた『平家物語』も話題に。
しまぐちだいき/1998年、埼玉県生まれ。2021年『鳥がぼくらは祈り、』でデビュー。22年『オン・ザ・プラネット』が芥川賞候補。