『母を失うこと 大西洋奴隷航路をたどる旅』(サイディヤ・ハートマン 著/榎本空 訳)晶文社

 母国喪失と「不在との出会いの物語」の書だ。

 かつてアフリカ大陸からアメリカ大陸に奴隷として連行されディアスポラと化した人びとは、永久の「よそ者」となった。しかしその「よそ者」を探してハートマンが1996年、米国からガーナのエルミナに降り立つと、自分の方が地元の子たちに「オブルニ」(よそ者)と指さされたのだった。

 ここには、アフリカ大陸とアメリカ大陸に引き裂かれた歴史とアイデンティティの巨大な断絶がある。

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 主に9つもの奴隷ルートがあったという。ハートマンは奴隷の末裔として、奴隷制の研究者として、過去と対峙しようとしてこの地にやってきたが、そこで見出したのは茫漠たる意識の空白だった。

 ガーナは「奴隷海岸」と呼ばれた売買の中心地のひとつであり、この地帯は大西洋アフリカ沿岸の北西部に広がり、西側は黄金海岸、象牙海岸が続いていた。ポルトガル、イギリス、スペインなどの植民地支配者が所有する港や海軍基地が点在し、奴隷貿易が始まった当初はヨーロッパ人が奴隷の仲買人となってアフリカの商人や王族に売っていたという。部族・民族間の紛争により、アフリカ人が他族のアフリカ人を売ることにもなった。

 ガーナ最大の奴隷市場があったサラガで奴隷の子孫について尋ねたハートマンは、身を強張らせた酋長にこう言われる。「わたしたちにとって奴隷制について話すことは今でもまだ困難なのです」

 過去に与えられた傷を忘れようとする意志が、こんにちの奴隷子孫の癒しを妨げているとハートマンは痛感する。この私自身がなるべくなら憶えていたくない経験の遺物なのだと。

 ガーナの市民が奴隷制の話題を避ける一方、政府はいわゆる「奴隷制ツーリズム」の構築準備を進めるのが対照的だ。

 奴隷の末裔たちへの「賠償」という問題も深く慎重に論じられている。アフリカ系アメリカ人がそれを求めることの危険性が指摘され、蒙が啓かれる思いだった。そもそも無関心な政府の前で懇願する行為自体が、黒人の尊厳を損なうという考え方があるのだ。

 ハートマンはこの図式を有名な反奴隷制メダリオンの像と重ねる。跪き鎖に繋がれた奴隷が懇願する姿が描かれ、「わたしもまた人間で、兄弟ではないのですか?」と訴えかけている図だ。

「こちらに耳を貸そうともしない人々に向かって懇願し、無関心で敵意ある法廷に向かって給付金を希(こいねが)い、奴隷制が人道に対する罪であったとすら認めないような政府」に補償を求めること自体に「根本的に卑屈なもの」があると。しかし著者は、過ぎ去った時間は与えられた傷をいっそう深くしたのだとも言う。奴隷制の「余生」と向きあう上で必読の書である。

Saidiya Hartman/1961年、ニューヨーク生まれ。作家、研究者、思想家。コロンビア大学教授。専門はアフリカン・アメリカン研究、フェミニスト・クィア理論、パフォーマンス・スタディーズなど。2019年、マッカーサー・ジーニアス賞受賞。
 

こうのすゆきこ/1963年、東京都生まれ。翻訳家、文芸評論家。著書に『文学は予言する』、訳書にマーガレット・アトウッド『誓願』他。