津原泰水には一度だけ会ったことがある。7年前に、とある文学賞の授賞式に赴いた時だ。私はまだ駆け出しの文芸評論家だった。全く発表のあてもないまま、長い小説を書いてもいた。屋外の喫煙所にいると、整った風貌の眼鏡を掛けた男性が少し疲れた表情でやって来て、目の前で煙草に火を点けた。津原泰水だった。SNSで言葉を交わしたことがある私は自分から名乗った。津原は「いや、私は名乗るほどの者では」ととぼけた口調で言うと、顔をくしゃくしゃにして笑ったが、隣にいた私と同年代の作家も声を掛けた。「津原さんですよね」。それから3人で短い会話を交わした記憶がある。
津原と同年代の作家が話を続けるなか、煙草を吸い終わった私はそっと喫煙所をあとにした。無関心からではなく、敬意からだ。当時、まだこれといった仕事をしていなかった私にとって、津原泰水は仰ぎ見るような存在だった。畏敬する作家に掛ける言葉はほとんど見つからなかった。
それが津原泰水に会った最初で最後の機会になった。一昨年、私はようやく書いていた小説を出版して津原に送り、SNS越しに助言を戴いた。その5ヶ月後、津原はこの世を去った。個人的なことは全く知らないし、これからも知りたいとは思わない。時々、日本文学には純文学やエンターテインメントといったジャンルを無効化してしまう突然変異のような傑出した小説家が現れる。江戸川乱歩、久生十蘭、山田風太郎、澁澤龍彥らと共に、津原泰水は正にその系譜に連なる1人だ。この系譜の小説はジャンルからではなく、単に「小説」として読んだ方が良い。私は津原をそういった「作家の中の作家(オーサーズ・オーサー)」として記憶していたい。遅ればせながら小説家となった私は最早(もはや)仰ぎ見るような目ではなく、同業者としてフラットに遺作となった長編小説『夢分けの船』を読んだ今、その想いを強くしている。
作品毎に変幻自在に文体を変える稀代の名文家(スタイリスト)は、本作でも夏目漱石を模した文体を用いて、現代版『三四郎』とも言うべき青春小説を紡ぐことに成功している。東京に生まれ育った私は、『夢分けの船』の作曲家を志す主人公・秋野修文(あきのよしふみ)の上京、専門学校やバンドでの日々、恋愛、視力の病、挫折、ましてや幽霊譚とは何一つ共有する経験を持たない。しかし、完璧に統御された精緻極まりない文体が醸し出す叙情によって、その全てを体験したかのように、私はこの小説をノスタルジアすら味わいながら読んだ。『夢分けの船』の不在のヒロイン・久世花音(くぜかのん)のように、津原泰水はここにいる。私はこれからもその傑作揃いの小説たちを読み返す度にまた何度でも津原泰水と会うだろう。生前はほとんど交わすことのなかった会話をして、更に助言を幾つも受けるだろう。優れた作家はその作品のなかにいつもいる。
つはらやすみ/1964年、広島県生まれ。89年に少女小説家〈津原やすみ〉としてデビュー。96年より〈津原泰水〉名義で執筆。2011年、短編集『11 eleven』がTwitter文学賞国内部門第1位。著書に『ブラバン』『バレエ・メカニック』等。2022年10月2日逝去。
かわもとなお/1980年、東京都生まれ。作家、文芸評論家。小説『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』、共編著『吉田健一に就て』。