本書は第169回芥川賞候補となった乗代雄介の中編小説。惜しくも受賞は逃したが、青春小説の新たな傑作と呼んでいいだろう。読み終わったあとはなんだか胸がじんじんして、ところ構わず家の中を歩き回ってしまった。
物語は地方都市の進学校に通う高校2年生の男の子が修学旅行先の東京で小さな冒険を行う、というものだ。主人公は幼い頃にシングルマザーの母親を亡くしており、祖父母と伯母さん、叔父さんに育てられた。ある出来事から中学3年生のときに叔父さんとは生き別れになってしまい、修学旅行を利用して今は東京の外れに住んでいる叔父さんにこっそり会いに行くという筋書きである。
学校を休みがちで友達のいない主人公は初めひとりで叔父さんに会いに行くつもりだったが、ひょんなことからスクールカースト上位の大日向、特待生の蔵並、吃音症をもつ松という同じ班の男子3人もついてくることになった。彼らが反対しないか、時間は間に合うのか、学校にばれないか、本当に叔父さんに会うことができるのか、はらはらさせる要素が自然とページをめくる手を加速させるが、それにしても女子3人を加えた高校生7人の会話が鮮やかだ。複数人の発話がわいわいと入り乱れながらだんだんとそれぞれの個性が立ち上がってくる様(さま)は小説を読む快楽の大きな部分を占めているし、旅を通して7人の関係が密になっていく様子は十代の頃の他人との関係に潔癖だった時代を思い出させ、その輝きに胸が締め付けられる気分になる。登場人物がみな魅力的なのも、物語に弾力を与えていると言っていいだろう。
と言っても“友情っていいよな”的な話ではない。全然ない。この物語は明らかにJ・D・サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』を下敷きにしていて(例えば、冒頭に出てくる「ヴァルザーの帽子」つまり詩人ローベルト・ヴァルザーの帽子が落ちた日=亡くなった日は『ライ麦畑』の舞台であるクリスマスの日だ)、孤独な大人たちにも通じる「どう生きるか」の話である。中盤では「子供たちが崖から落ちないようにライ麦畑で捕まえる人(The Catcher)」の変奏であるかのように、宮澤賢治における「川で遊ぶ子供たちと一緒に溺れてやろうってする人」の話が出てきて、しかも物語中である種のCatcherの実践が行われるという『ライ麦畑』のその先を描いている。ひとが孤独で弱いままでどう他人を支え、他人を支えにしていくのかの、ひとつの感動的な応答がここにある。
なお、この小説に出てくる固有名詞を挙げていくと、ローベルト・ヴァルザー、長崎源之助、タイガー立石、つげ義春、宮澤賢治、そして奥田民生……すべて迂回とさすらいを大事にした表現者たちだ。これらの作家たちが、守護天使のようにこの探求の物語を見守っている。
のりしろゆうすけ/1986年、北海道生まれ。2015年「十七八より」で群像新人文学賞を受賞し作家デビュー。18年『本物の読書家』で野間文芸新人賞受賞。21年『旅する練習』で三島由紀夫賞受賞。他著に『最高の任務』『皆のあらばしり』などがある。
どうぞのまさひこ/1983年、東京都生まれ。歌人。歌集に『やがて秋茄子へと到る』がある。歌書書評ブログ「短歌のピーナツ」。