『はーばーらいと』(吉本ばなな 著)晶文社

 この小説に出てくる極端で痛々しい女の子は、私とよく似ているのだろう。小さく穏やかだが、それでもしっかりと偏っている宗教団体に入信した両親を取り戻すために単身戦いに出て、ぎりぎりになるまで誰にも助けを求めずにいたひばり。その姿を見て、やはり信仰を持つ両親のもとで育ち、打ちのめされ続けた自分の少女時代を思い出す。この世界には、思いやりも、丁寧さも、芯から相手にとって何が本当はいいことなのかを考えぬく知性も、さまざまな心理的作戦も、すべて無効になる壁が存在する。それが、思考を停止すると決めてしまった人と渡り合おうとすることの不利なのだ。

 本来気高く自由であったはずの魂が、釣り合わない場所にいることを強いられ、容れ物である心身のほうからみるみる弱らされていく。この少女の端々から理知的にはみ出てしまうのは、そういう営みの中から発せられる悲鳴であった。

 そこへ落ちる蜘蛛の糸は、極めてささやかで、だけれど頑丈なものだった。君はそんなところにいるべきではない、どうにかしてなるべくましな形で、少しでもいい方へ行こう。という、確かに光る意思。霧深い日の灯台のように、今すぐにすべてを照らし出すことが出来ずとも、そういう明かりがこの世界にあるというだけで、ほんのすこし自分を失わずにいられる。そんな明るさが描かれる。

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 この小説の最も個性的であるところは、語り手の、幼馴染であるひばりを宗教団体から救い出そうとするつばさという青年が、その母親とともに極めて真っ当なだけの人物であるところだと思う。それは、この現代社会で久しく失われたまともさなのではなかろうか。親しく思う他人をなるだけ助けたいと願い、同時にそれが自分たちの何かを差し出しすぎることにはならないよう、彼らは極めて慎重に検討する。皆、自分の責任でやるのだ。彼の普通さを眩しく感じるひばりの心情までもが描かれていることの鮮明さにも驚かされる。眩しい人の優しさを、どのくらいならば受け取っていいのか、この優しく正しい人の、何かをもらいすぎてはいないだろうか。そうした懸念は、何かを他者によって永遠に欠損させられてしまった人に、しばらくの間立ちはだかる葛藤なのだ。

 気高き被害者と、無自覚の加害者たち、そしてそれを援助するものたち。その複雑な関係性の、たおやかでしかし鋭い描写と、絡み合った糸を本当に少しずつ丁寧に解きほぐしていく、あのつらくやさしい営みに思いを馳せる、掛け値ない親切の物語だった。

 この希望が意識的に灯されているものだと分かることが、なによりも重要である。意識して、自分の意思で、わざと、灯す。そういうことが明らかに必要な世界を、私たちは生きているのだ。

よしもとばなな/1964年、東京都生まれ。87年「キッチン」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。著書に『キッチン』『ムーンライト・シャドウ』『TUGUMI』ほか。2022年『ミトンとふびん』で谷崎潤一郎賞を受賞。
 

とだまこと/文筆家・映画監督・元AV女優。最新刊に初の私小説『そっちにいかないで』。自身も宗教二世家庭で育つ。