主人公は、ソ連時代のバルト三国エストニアに生まれたラウリ・クースク。彼の伝記を書くために取材している「わたし」の視点で綴られる物語だ。
ラウリは、学校でКУВТというコンピュータと出会う。情報科学の時代を見据えた先生が熱心に中央に頼み込んで手に入れたコンピュータだ。プログラミングにハマったラウリは、次々とゲームをつくる。
共産主義少年団の一員になり鉄くず集めをするゲーム。製氷皿をうまく動かして氷をつくるゲーム。
それは、われわれがゲームと聞いて連想するものよりシンプルなものだ。
“日記を書いたり、写真を撮ったりするように、ラウリは身の回りを見て、それをプログラムという形に残した。歩いていても、誰かと喋っていても、いつも心の一部は目に映るものをプログラムで再現する方法を考えていた”
という文章が登場するのは47ページ、本書のまだ冒頭部分だ。
でも、すでに「ああ、これはぼくの物語だ」と思い込んだ。錯覚させられて、没入した。
なにしろ、ぼく自身、初めて触れたコンピュータがMSXである。ラウリが使ったコンピュータと同じ。КУВТは、MSX規格をベースにロシア語ローカライズされたものだ。
MSXを購入したのは大学生の時、2万9800円。すっかりプログラムを組むことに夢中になった。通称『ベーシックマガジン』という雑誌に掲載されたプログラムを打ち込んだり、簡単なゲームを作ったりした。
テレビに接続し、プログラム言語を打鍵する。その命令で、画像が描かれ、音楽が流れ、キャラクターが動いた。
それまで誰かが作った映像を観るための機械だったテレビが、自分自身が何かを描くためのマシンになった。そのうえ、自分で操作できるのだ。
あのときの興奮が、本書にはまるごと封じ込められている。
プログラムに夢中になり、コンピュータを通して、どうにか社会と繋がれる感覚を持ちえたのもラウリと同じだ。
いや、もちろん秘密警察の時代にエストニアに生まれたラウリとぼくでは生きてきた環境は大きく異なる。
プログラムを通じて知ったライバルと出会い(めちゃくちゃいいシーン)、エストニアの独立を巡って友を失い、何かを諦め、何かを得る。激動する社会に翻弄された人物。
平和ボケと言われる日本で、漫然と生きていた自分とはそうとう違う。
だけど、ぼくは自分自身の青春時代を書き換えるような気持ちで一気に読み切ってしまった。
異なることを受け入れたまま異文化を実感として理解するためには、良質な物語が必要だ。
『ラウリ・クースクを探して』は、まさにそんな物語だ。
みやうちゆうすけ/1979年東京都生まれ。『盤上の夜』で日本SF大賞受賞。『彼女がエスパーだったころ』で吉川英治文学新人賞、『カブールの園』で三島由紀夫賞、『遠い他国でひょんと死ぬるや』で芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。
よねみつかずなり/1964年生まれ。ゲーム作家・ライター。代表作に「ぷよぷよ」「はぁって言うゲーム」「あいうえバトル」等。