『昭和ブギウギ 笠置シヅ子と服部良一のリズム音曲』(輪島裕介 著)NHK出版新書

 優れた研究書は専門的な議論を読むさなかに、心が揺さぶられる瞬間がある。本書は10月スタートの朝ドラ『ブギウギ』の関連本でありながら、本書自体がドラマチックだ。

 物語は壮大である。御一新以前から、大阪の庶民は盛り場で浪花節や小唄、音頭などの「音曲(おんぎょく)」を歌い踊ってきた。だが、日本の近代化のなかで、西洋の音楽が学校や軍隊を通して、人々に強制された。さらには帝国主義の広がりとともに、外資系レコード会社が巷の歌を囲い込んでいく。時代が変わり、帝国主義が批判されるようになっても、近代日本大衆音楽史はレコード中心で、西洋音楽の受容史として語られてきた。

 著者はその歴史へのレジスタンスを試みている。そのために選ばれた主人公が、銭湯で歌って踊って人気者だった笠置シヅ子と、まむし(鰻)屋の楽団から音楽人生をスタートさせた服部良一である。2人は大阪の下町で音曲に囲まれて育った。従来、アメリカ音楽の優れた表現者として捉えられてきたが、その原点は大阪の音曲にある。1938年に東京で出会った笠置と服部は、「帝国の音」を使って、庶民に根差した歌を生み出していった。

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 2人の足跡をたどりながら、音楽史の見方が反転していく体験はまさに心躍る。脇役もいい。笠置の敵役として登場するのが音楽学校出身の淡谷のり子だ。帝国の音楽を絶対視し、音曲を見下す憎々しさは、風格すら漂っている。また、笠置といえば「大阪のおばはん」イメージが強いが、本書に掲載されている若い頃の写真には思わず、惚れてまうやろーと叫びたくなった。

 戦後はいよいよ「東京ブギウギ」の登場である。笠置は「ブギの女王」になり、新時代の象徴になった。だが、服部は笠置を「適当なブギ歌手とは思って居ない」と記す。それは別に不仲になったとかではなく、服部の音楽観から導き出された発言だった。とはいえ、戦前からのコンビの栄光を見た後に読むと、胸が締めつけられる思いがする。

 本書は語り口も楽しい。専門的な記述のなかに、芸人のギャグが隠れミッキーのように紛れ込んでいる。芸人名が書かれていない箇所もあり、初読時には見落としてしまった。その多くが吉本新喜劇のギャグであるように、本書は大阪への愛に溢れている。その姿勢は問題意識にもつながり、芸能史における大阪の重要性が指摘される。私自身もそのことを理解しながら、これまで大阪の芸能のコアな部分に言及することを避けてきた。正直にいえば、よそ者が論じることへの恐れがある。だが、金沢生まれの著者は大阪に職を得て、今は「帰化大阪人」になるべく「帰化申請中」なのだという。これは大衆芸能研究にとって朗報である。大阪の視点から見たオルタナティブな大衆芸能史の誕生が近いかもしれない。輪島センセ、たのんまっせ。

わじまゆうすけ/1974年、石川県生まれ。大阪大学大学院人文学研究科芸術学専攻教授(音楽学研究室)。著書に『創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史』など。
 

ささやまけいすけ/1979年、富山県生まれ。演劇研究者。著書に『昭和芸人 七人の最期』『ドリフターズとその時代』など。