本作所収の「病院にて」によれば、ナナ・クワメ・アジェイ=ブレニヤーは十二枚の舌を持つ神と契約を交わして物書きとなったようだ。ミシシッピ州の十字路でパパ・レグバと契約しブルースマンとなったロバート・ジョンソンよろしく。
一九九一年、ガーナ移民の両親のもと、ニューヨーク州オールバニーに生まれ、同地で育った彼のデビュー作たる本書は、それぞれにディストピアンな幻想譚や近未来もの、計十二編が詰まった短編集である。『地下鉄道』で知られるコルソン・ホワイトヘッドに推薦されたことからも想像できる通り、全体を貫くのは「黒いマジック・リアリズム」。かつ、デヴィッド・フォスター・ウォレスの『Infinite Jest』やニール・スティーヴンスンの『スノウ・クラッシュ』にも似て、やたらと詳細に書き込まれた近未来は、間違いなくディストピアンなのに、どこかユーモラスでもある。
主人公が自分のブラックネスを「四・〇に抑えた」「八・〇まで上昇」と自己測定する場面が頻出する「フィンケルスティーン5」は、黒人の少年少女計五名の頭部をチェーンソーで切断したのに「自衛の範囲内」として無罪に……という架空のフィンケルスティーン事件を発端とする物語。犠牲となった少年少女の名を叫びながら白人に制裁を加えていくくだりには、イシュメール・リードの七二年作『マンボ・ジャンボ』を連想もした(やはりアフリカ系の魔法的リアリズム)。だが著者のイマジネーションの在り方はやはり格段に新しく、いわばHBO/Netflix/Amazonプライム的だ。『ゲーム・オブ・スローンズ』のホワイトウォーカー&ワイトのような人語もおぼつかぬ肉塊と化しショッピングモールに押し寄せる群衆……を誘導しつつ売り上げを伸ばしていく店員の活躍を描く表題作は映像的にして間違いなく残酷、でも笑いを誘う。
先に触れた「フィンケルスティーン5」は、黒人高校生を射殺したのに無罪となったジョージ・ジマーマンの実話をモデルにしている。もう一編、タイトルから同事件に直結するのが「ジマー・ランド」だ。舞台はドラマ『ウエストワールド』的なテーマパークだが設定が現代の街で、やられ役に“黒人ギャングスタ”や“中東系テロリスト”を配したもの。その悪役の一人を演じる黒人男性の心理を追った逸品である。
これが象徴するように、本短編集はアメリカの今を映したもの。白人至上主義団体が暴れて死傷者が出ても「喧嘩両成敗」と大統領がのたまう国に住むマイノリティたちの気持ちに思いを馳せるよすがとなろうか。映画『ゲット・アウト』や『アス』にも似て。
配慮、気配り、ポリティカル・コレクトネスが死滅した未来を描く「旧時代」を読んで、PCに到達すらしていない東アジアで嘆息しながら。
Nana Kwame Adjei-Brenyah/1991年、アメリカ生まれ。ガーナ移民2世。シラキュース大学大学院創作科で修士号。本作がデビュー作。2019年、本作でPEN / Jean Stein Book Awardを受賞。
まるやきゅうべえ/19××年、京都府生まれ。音楽評論を始め各種カルチャーに精通。訳書に『ゲットーに咲くバラ 2パック詩集』。