オークション会社のサザビーズに入る前、私は長く画商をしていたので、本書を共感とともに興味深く読んだ。文化とお金は背中合わせの関係にあるのに、互いに知らぬふりをしている。それは今も昔も変わらない。
この業界、アートがただ好きであるというだけでは大成しないものだ。アートへの情熱を強く持ちつつも、同時に金銭感覚もシビアでないと成功は覚束ない。
本書はそういった一癖も二癖もある画商たちの歴史を、豊富な逸話を通して描いている。アートビジネスの発展とともに、彼らの役割も大きく変わってきた。
古代ローマ時代には、絵画は時として「重さ」で価格が決められていたという。
美術市場が生まれてくるのは、十五世紀。教会に納める宗教的な絵画だけでなく、市民層の顧客が神話を題材にしたものや、風景画などを求めるようになってからだ。
初期の画商は顧客の好みや流行を画家に伝える立場だったが、十九世紀に入ると画商たちは時代に先駆けた絵画を顧客に紹介する役割を担うようになる。
その大転換の嚆矢(こうし)となるのがフランスの画商、デュラン=リュエルだったとは(彼の逸話は知っていても)知らなかった。彼は一八七〇年代、のちに印象派と呼ばれるようになるモネやピサロ、ルノワールなど当時不遇をかこっていた前衛画家たちの絵を大量に購入するだけでなく、活動資金を与え、各地で展覧会を開くなどして支援した。
また二十世紀前半に活躍したドイツ人画商カーンワイラーは、誰よりも早くピカソやブラックらのキュビズムの理解者となった。第一次、第二次世界大戦と二度も政府に資産を没収される目にあっても、芸術家を励まし続け、またキュビズムの研究書を自身で書き、彼らに対する評価に大きな影響を与えた。
「私が最も大きな歓びを感じるのは、私が気に入った楽曲を嘲笑し、やじを飛ばす相手の面前で断固として拍手喝采を送ることだ」
本書で引用されるカーンワイラーの言葉には、芸術に対する価値観への揺るぎない信念が感じられる。
日本の総合商社は、ハード面でのエージェント・ビジネスの代表選手だが、画商は、アートやスポーツなどソフト分野でのエージェント・ビジネスの原型といえよう。そういった視点で読みといても、本書から得られるものは多いはずだ。
著者のフィリップ・フックはサザビーズで私の同僚であり、イギリス式の皮肉の効いたユーモアのある文体には、オックスブリッジ出身の著者らしさを感じさせる。訳も良い。
Philip Hook/ケンブリッジ大学卒業後、1973年クリスティーズ入社。その後画商を経て、94年サザビーズに入社。現在、サザビーズ取締役。印象派・近代美術部門シニア・ディレクター。他の著書に『印象派はこうして世界を征服した』など。
いしざかやすあき/1956年生まれ。画廊経営を経て、サザビーズジャパン会長兼社長。著書に『巨大アートビジネスの裏側』など。