文学を神格化し、若くて「何もわかっていない」作家志望の黒人を語り手に物語がスタートする。彼の周りにいる「作家仲間」が紹介され、現代のフランスにおける黒人作家たちの典型と限界が皮肉いっぱいに描かれる。知る人ぞ知る詩人なのに、なぜかもう書かなくなって数学の世界に閉じこもった奴。才能ないけどインフルエンサーパワーで売れてる奴。作品もそれを書いている本人もめっちゃエロい奴。運動としてもビジネスとしても連帯することのない「仲間」たちの姿は、健全でもあり、お手上げ状態だ。みんながそれぞれの方法で文学を疑い、成功を疑い、白人社会を疑う――「周囲からはアフリカ人であるように、ただしアフリカ人でありすぎないようにと命じられて(中略)作家であることを忘れてしまった」。
じゃあ、現代の黒人作家たちがこのような袋小路に至った道筋(ルーツ)は? 物語は一つの起点として、1938年に存在した幻の黒人作家とそのたった一作の小説にフォーカスし、タイトル通りの深奥に入っていく。
発表直後に爆発的な評価を受け、そしてある疑惑によって即キャンセルされた作家の名前はT・C・エリマン。小説は『人でなしの迷宮』。この作家がどんな環境に生まれたか。なぜフランスに渡り、なぜ書き、そしてどう消されたのか。名前の“T・C”って何なのか。
これらの謎が膨大に噴出しては膨大なエピソードを伴って明かされていく。構造は又聞き。しかもエピソードが入れ子になりながら遡行し、1人の黒人作家エリマンの関係者たち――迎合や排除や愛や競争や出産や性交や殺戮をもって彼に関わった亡霊たちがリアルタイムに歴史を生成していくようなゾーンに突入する。白人も黒人も、生きている人間も死んだ人間も、この小説世界では対等だ。
対等であること。これもこの小説の動脈だと思う。「書物は時空を超えた他者とのコミュニケーションだ」という言葉があるが、小説はさらに一歩踏み込んで「書物の世界でならどんな他人とも対等になれる」という呪いのような欲望をむきだしていく。
紹介文には「人間はなぜ書くのか」とあるけど、読んでいくと答えは明らかにその「呪い」であり、それは黒魔術などの神秘主義でもないし、自意識やトラウマといった概念へのキャッチコピーとして使われる“呪い”でもない。呪いは人間が人間に対して向ける欲望のすべてと、そのダイナミクスのことだ。だからここで描かれる世界には終始ためらいがなく、むしろ官能的なムードが漂っている。
そして、作者はゴンクール賞を獲った。これは作中の話じゃなくて、現実だ。作中と地続きのこの世界で、作中の誰も超えられなかった袋小路を、作者が突き破ってしまった。
Mohamed Mbougar Sarr/1990年セネガルのダカール生まれ。現在はフランスのボーヴェ在住。2015年『Terre ceinte(直訳:包囲された土地)』で長篇デビュー。21年、4作目の本書はフランスの4大文学賞すべてにノミネートされ、ゴンクール賞を受賞。
あんどうほせ/1994年、東京都生まれ。2022年『ジャクソンひとり』でデビュー、芥川賞候補に。最新作に『迷彩色の男』。