本国フランスのみならず、日本をはじめ世界中にファンを持つウエルベックはこれまで、宗教なき現代世界で不死・不老はあたらしい宗教になりうるか、死に至る病である孤独は克服できるのかといった、普遍的でピュアなテーマを作品で展開してきた。
徹底した「中年期/老年期の白人男性のひがみ芸」とでも呼びたい、シニカルさと挑発的な露悪性が、むしろ広い読者層に中毒的な快楽をもたらす稀有な作家と言っていい。そのウエルベックの新作は、偉大な作家バルザックもかくやと思われる、社会の実相を巨視的にとらえつつ家族の問題を微視的にもとらえた、「泣ける」大長編だ。
物語は不穏な出来事で幕を開ける。次のフランス大統領選を控えた2026年、現職の経済・財務大臣ブリュノが断頭されるシーンの動画が世に出回る。それは精巧に作られたフェイク映像だが、誰が何のために作成したのか、尻尾がつかめない。大臣執務室付の優秀な秘書官であるポールは、ブリュノの忠実なる部下として、陰謀論も策謀も渦巻くフランスの政治の中枢に入りこんでいく。
その一方でポールは、プライベートに爆弾を抱えていた。価値観を共有していた高級官僚の妻との仲はいまや隙間風。そして父が脳梗塞で昏睡状態となり、妹や弟、それぞれのパートナーも巻き込んだごたごたが始まる。信仰心の篤い妹は祈り、義妹は遺産を狙い、父のパートナーは介護に献身する。高度な介護を要する医療現場のリアルな活写がひとつの読みどころだ。
中国の大型船の爆破など、テロ組織が暗躍するなか、大統領選をめぐる駆け引きは徐々に白熱する。潮目を慎重に読むうち、思わぬ対立候補が現われる。テレビタレント出身のサルファティである。政治コンサルの戦略、ポピュリズムの扇動。そしてポールはテロに関連し、かつて父が勤めた政府の情報機関に接近していくことになる……。
本作は、ウエルベック印である冷酷な批評性とスリリングな物語展開に、短い章立てのリズム感も奏功し、上下巻という大著ながら寝不足必至のページターナーぶりだ。政治劇で終わらず人間の尊厳の問題に落とし込む手つきもいい。
ウエルベックには近年の社会批評やエッセイをまとめた『ウエルベック発言集』(白水社)という著作があるが、安楽死や自殺幇助の是非にたびたび言及してきた彼は、『滅ぼす』でも人生の苦しみを徹底して描きつつ、自死を救いには設定しない。終盤、ポール自身を生命の危機が襲う。そこに至り、(夫婦の)生と性の充足について、そして不幸の乗り越えについて、思索は深まる。「二人は運が良かった、とても運が良かった。たいがいの人にとって、最初から最後まで、旅は孤独なものだから」
ウエルべックに泣かされるとは! 現代人に必要な教養が本書にはある。
Michel Houellebecq/1956年生まれ。98年長編『素粒子』がベストセラーとなり、世界30カ国以上で翻訳される。2005年『ある島の可能性』でアンテラリエ賞、10年『地図と領土』でゴンクール賞を受賞。他の小説に『服従』『セロトニン』などがある。
えなみあみこ/1975年、大阪府生まれ。ライター、書評家、京都芸術大学文芸表現学科准教授。共著に『韓国文学を旅する60章』。