大阪・ミナミにある島之内地区は、住民約6000人の3割以上が外国籍を持つ、移民集住地域だ。地図を見て驚いた。心斎橋、宗右衛門町、道頓堀と、観光客でも知っている大阪一の繁華街の隣に島之内地区はある。住民の大半はミナミの飲食街で働き、フィリピンと中国の出身者が多いという。
本書は、この地区にひっそりとある「Minamiこども教室」のルポルタージュ。著者は新聞記者だが、9年以上、ボランティアとして、この「支援教室」に関わっている。
冒頭、著者が「外国人」という言葉を使わず、かわりに「移民」を使う理由に触れた箇所があった。「ある人を『国民』との対比として『外国人』と呼ぶことには、その境界線を再創造しながら、自分が暮らす社会の外部の人々だという考え方を強調する力がある」「誰が日本人か、誰が外国人か――。その問いに簡単な答えはないこと、そう問うこと自体に線引きの暴力が潜むことを、教室の子どもたちは私に教えてくれた」と書く著者の目線は、謙虚に、そして浮き上がることなく、移民の子どもたちの「隣」に寄り添う。
教室が立ち上がったきっかけは、フィリピン人母子の無理心中事件だった。孤立し追い詰められた移民家庭の児童にできることはなかったか。思い悩んだ小学校の校長が動く。それに呼応して、支援する人々が集まって来た。
とても印象的だったのは、「Minamiこども教室」を作った人たちが、それぞれ持ち寄った経験だ。同和教育の現場で行われている「子ども会」、在日コリアンのコミュニティで生まれた「民族学級」、中国残留孤児らのための「帰国者支援」といった、マイノリティの子どもへのサポートは、大阪各地で実践されてきた。それらの経験の厚みが生かされていく。
「Minamiこども教室」が活動の中心に据えるのは学習支援だが、勉強だけを教える場所ではない。子どもたちは、そこを「居場所」と呼ぶ。民族的なルーツは多様だが、「Minamiこども教室」という体験がそれぞれの子どもたちの「違い」を肯定的に受け止め、「自尊感情」を育てる場所となっている。「自尊感情」という言葉が何度も出てきた。それがいかにたいせつか、均質性を好み、「違い」を忌避する傾向のある今の日本社会が、いかに不用意にそれを傷つけがちかに気づいてハッとする。
「教室」は子どもだけではなく、ボランティアの大人に気づきと変化をもたらす場所だと著者は書く。「自分が暮らしを営む日常の安定した領域(ホーム)から半歩踏み出すことで、身を浸すことのできる境界」だと。その、おすそ分けにあずかるような読書体験だった。
この国がこの先、どんなふうに変わっていくのかは未知数だけれど、「Minamiこども教室」の在り方は、ひとつのモデルを示しているように感じた。
たまきたろう/1983年大阪生まれ。2006年に朝日新聞の記者になり、島根、京都での勤務を経て、11年から大阪社会部に所属。17年から2年間休職し、英国のロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで移民と公共政策についての修士課程修了。
なかじまきょうこ/1964年東京都生まれ。『小さいおうち』で直木賞、『やさしい猫』で吉川英治文学賞受賞。近著『小日向でお茶を』。