『酒が薬で、薬が酒で』(キャンパー・イングリッシュ 著/海野桂 訳 )柏書房

 酒飲みにはなんともそそられるタイトルだ。しかし、残念ながら「酒=薬」であると論じている本ではない。「古くから、酒と薬は深く結びついていて、酒が薬であり、薬が酒であった」とあるように、現在形ではなくて過去形、酒と薬の密接にからみあった歴史が内容だ。しかし、その歴史は、飲酒者だけでなく非飲酒者をも酔わせるほどに面白い。

 現在からは想像もつかないエピソードが満載である。たとえば、ピラミッド建設の担い手の渇きを癒やすためにビールが供されていた。ビールは加熱して作られるうえ、発酵によって発生するアルコールが微生物の増殖を抑えてくれる。嗜好ではなく衛生的な観点から、水よりビールだったのだ。

 古来アルコールが広く薬として使われていたと聞くと不思議に思われるかもしれないが、昔の医療はむちゃくちゃだった。『世にも危険な医療の世界史』(文春文庫)に詳しいが、いまでは毒として知られている水銀製剤が何100年もの間万能薬として利用されていたほどだ。まともな薬のなかった時代、身体になんらかの目に見える反応をひきおこす物質が根拠もなく薬として使われていたのである。それならば、水銀やアヘン、ヒ素などよりもアルコールの方がはるかに嬉しいし健康的ではないか。

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 世界各地の蒸留酒は薬として誕生した、というのも驚きだ。これは、酒の薬効が「神の奇跡」のように思われていたためである。だからだろう、ブランデーは「命の水」と見なされていたし、ウイスキーの語源であるウスケボーはそのものずばり「命の水」という意味だ。酒が薬であった時代の名残のせいなのか、1920年に始まった米国の禁酒法時代、処方箋で「合法的」に「医療用ウイスキー」を手に入れることができたというのには笑えてしまう。

 こういったエピソードが、蒸留と錬金術との関係、修道士による酒造、発酵の科学、梅毒やマラリア、壊血病といった疾患の治療などの歴史とともに語られ、読み応えたっぷりの1冊になっている。最後の章「カクテルと現代医学」には、適量の飲酒はからだに良いといったことが書かれているが、これは鵜呑みにしないほうがいい。

 たとえ少量でも健康に悪いという論文が2018年に権威ある医学雑誌ランセットに掲載されているし、最近発表された日本の飲酒ガイドライン案にも、飲酒量(純アルコール量)をできる限り少なくすることが重要、と書かれているからだ。また、世界各国の飲酒ガイドラインが推奨する純アルコール量は男性で1日20~40グラム(500mlの缶ビール1~2本、日本酒なら1~2合)、女性はその半分程度以下と、酒飲みには信じられないくらいに少量だ。

 酒を飲む機会の増える年末年始、『酒が薬で、薬が酒で』の時代やったらよかったのに、と嘆きながら適量飲酒に努めてまいります。

Camper English/作家。カクテルに関する執筆や講演を中心に活動。さまざまな酒にまつわる、媒体に寄稿。「世界の飲料業界で最も影響力のある100人」にたびたび選出されている。
 

なかのとおる/1957年、大阪市生まれ。生命科学者。著書に『仲野教授の笑う門には病なし!』『こわいもの知らずの病理学講義』等。