近年、日本のお酒を取り巻く生産の現場では、新規参入者による新たな挑戦がはじまっている。また消費の場でも、新型コロナウイルスの感染拡大の影響による居酒屋の淘汰や、それによる家飲み需要の高まり、ノンアルコール飲料を含む酒類の選択肢が広がりをみせている。しかし、そうした動きを知らない人も意外といるのではないだろうか。
ここでは、経済学者で一橋大学名誉教授の都留康氏の著書『お酒はこれからどうなるか 新規参入者の挑戦から消費の多様化まで』(平凡社新書)から一部を抜粋。日本の居酒屋の歴史や、居酒屋が抱える課題について紹介する。(全2回の1回目/2回目に続く)
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なぜ日本の居酒屋は海外の酒場とは違うのか
NHK・BS1の人気番組「COOL JAPAN~発掘!かっこいいニッポン」の2020年8月9日放送「外国人が母国に持ち帰りたいニッポンの食TOP10」は、とても興味深い内容だった。ランキングのトップ5だけを挙げると、5位から順に「焼き鳥」「から揚げ」「お弁当」「回転ずし」、そして1位は「居酒屋」であった。
番組司会者である鴻上尚史によれば、著書(※1)の中で、その理由を次のように述べている。
海外では、食事はレストラン、お酒を飲むのはバーと明確に分かれている。またレストランでは、オードブルからメインまでを最初に一括して注文するのが普通である。これに対して、日本の居酒屋は食事とお酒が渾然一体となっており、食べたいとき、飲みたいときに随時注文できる。この点が外国人にはとても新鮮なのだという。
たしかに日本の居酒屋は、英国のパブやスペインのバルなどとは全く異なる存在である。では、いったいなぜ日本の居酒屋は海外の酒場とはこんなにも違うのだろうか。その起源は何であり、現在どのような課題を抱えているのかを考えてみたい。
英国パブの成り立ち
英国のヴィクトリア女王の在位期(1837~1901年)に、酒場である「パブ」が発展した。パブとは、「パブリックハウス」の略語である。
海野(※2)に依拠して、英国における酒場の発展を跡づけよう。まず、15世紀から16世紀にかけては、「イン」の時代だった。インとは、宿屋に酒場が併設されたものである。商業の発達と商人階級の勃興により、旅行や出張が増えていく。インでは1階で飲食して、2階で宿泊した。
その後、自家用馬車で旅行する人のための高級インと、駅馬車が停車する中級イン、さらにそれより下流の「エールハウス」や「タヴァン」などに分化していった。
18世紀になると、宿泊とは無関係の「パブリックハウス」という酒場の形態が現れる。これに伴い、インやタヴァンは次第に廃れていった。パブリックハウスは、酒場であると同時に、その名が示すように、各種の集会や、職業紹介などの機能をも果たす場所であった。