(1)西洋料理を導入し崇拝した明治初期、(2)西洋料理を日本人の舌に合わせる調理技術を開発した明治中期、(3)西洋料理ではなく和洋折衷料理(カツレツ〔のちのトンカツ〕、コロッケ、カレーライスの3大洋食)が台頭した明治後期、(4)庶民向け洋食の料理店(洋食屋)が普及した大正・昭和期である。
この結果、ビヤホールやカフェでは、ビールと洋食が定番のメニューとなっていく。また、1933(昭和8)年に「新宿ヱビスビヤホール」、翌1934年に「ビヤホールライオン銀座7丁目店」などが続々と開店して、さらにブームは地方都市にも広がっていった。
このように、一方で江戸時代後期以来の居酒屋があり、他方で明治時代に現れたビヤホールがある。和と洋との並立である。
この2つの流れの中で筆者が注目するのは、1937(昭和12)年に開業した「ニユートーキヨー数寄屋橋本店」である。
この店の最大の特徴は、日本酒もビールも、和食も洋食も、どちらも提供したことだ。これが可能であったのは、「ニユートーキヨー」がビールメーカー直営ではなかったからであろう。この特徴の重要さは強調に値する。なぜなら、これが和洋食を統合した第2次世界大戦後の居酒屋の原型をなすと、筆者は考えるからである。
戦後日本の居酒屋について
近年の居酒屋の事業所数を経営組織別にみると、個人経営が多く、法人経営(株式会社や有限会社など)は少ない(2016年「経済センサス──活動調査」の結果では、個人経営が72.6パーセント)。2006年の「会社法」施行以前ほど、戦後期を過去にさかのぼればさかのぼるほど、個人経営の割合が圧倒的に高くなる。したがって、主役は、あくまでも多数の個人経営による居酒屋である。
戦後日本の居酒屋については、おびただしい数のジャーナリストや評論家のレポートや刊行物がある。まずは、2人の研究者の優れた著作を挙げたい。橋本(※6)とモラスキー(※7)である。
前者は、戦後ヤミ市から高度成長期を経て現在に至る、居酒屋と社会・経済環境の変化との関係に対し目配りの利いた通史である。後者は、現代の多数の居酒屋の事例を文化論的に考察した著作である。ともに社会学の観点から書かれた名著である。通史と事例については、この2つの作品に委ねたいと思う。