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ビール、日本酒、和食に洋食も…「日本の居酒屋」がメニューにこだわらなくなった“歴史的背景”

『お酒はこれからどうなるか 新規参入者の挑戦から消費の多様化まで』より #1

2022/09/16
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居酒屋チェーンの歴史

 まずは、巨大法人が経営する居酒屋チェーンを取り上げたい。なぜなら、1985年に、居酒屋・ビヤホールの売上高を1兆円超えの市場規模に押し上げた立役者が、居酒屋チェーンだからである(図表1)。

図表1 居酒屋・ビヤホールの売上高の推移(『お酒はこれからどうなるか 新規参入者の挑戦から消費の多様化まで』より)

 居酒屋チェーンの歴史は、1990年代初頭の、バブル崩壊の前後で2つに分かれる。前半を代表する企業は、「旧御三家」と呼ばれた「養老乃瀧」「村さ来」「つぼ八」である。後半を代表する企業は、「新御三家」のワタミ株式会社(「和民」「ミライザカ」など)、株式会社モンテローザ(「白木屋」「魚民」など)、株式会社コロワイド(「甘太郎」「土間土間」など)である。

「養老乃瀧」の誕生以降、試行錯誤で獲得された居酒屋チェーンの運営原則は、(1)フランチャイズシステムによる急速な店舗展開、(2)セントラルキッチン(集中調理施設)による店舗内での調理の省力化・効率化、(3)マージンミックス(粗利益率の高い商品と低い商品とを組み合わせて販売すること)によるトータルでの粗利益率と客単価の確保、である。これにより、多種多様な料理と酒類の提供とが可能となった(※8)。

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 筆者は、ここに戦前から試みられた和食・洋食を包括した料理メニューと和洋酒の提供という方向の、ひとつの完成形態をみる。その意味で居酒屋チェーンの功績は大きい。

 しかしながら、この運営原則は、ほぼ1000店舗程度を展開したところで頭打ちになる(または減少に転じる)という規則性がみられる。新旧交代が起きるのだ。その原因は基本的には、マクロ経済環境の変化への、個別企業の対応の巧拙であろう。

 だが、より根本的には、先のチェーン運営原則に伴う製品差別化の困難がある。平たくいえば、特徴のあるメニューを開発してもすぐに模倣され、より低価格で提供される。この繰り返しがなされてきた。

 しかも、図表2にみるように、大手居酒屋チェーンを運営する企業の多くが加盟する日本フードサービス協会のデータ(会員企業のみ)では、「パブレストラン・居酒屋」の売上金額と店舗数のピークは2007年であり、2008年のリーマン・ショックも相まって、この業態の行き詰まりが生じたようにみえる。

図表2 パブレストラン・居酒屋の店舗数と売上金額の推移(『お酒はこれからどうなるか 新規参入者の挑戦から消費の多様化まで』より)

 ここでも新旧交代は起きており、その後の新興勢力の特徴は専門店化であった。焼き鳥専門の「鳥貴族」、海鮮専門の「磯丸水産」、串カツ専門の「串カツ田中」などが業界を牽引するようになったのだ。

 しかし筆者には、そうした専門店化で、居酒屋チェーンが以前のような勢いを取り戻すとは思えない。なぜなら専門店は、経営的には効率がよくてもメニューの特化が顧客の幅を狭め、一定期間内での顧客の利用頻度はおそらく高くないと考えるからだ。

※1・・・鴻上尚史(2015)『クール・ジャパン ──外国人が見たニッポン』講談社
※2・・・海野弘(2009)『酒場の文化史』講談社
※3・・・飯野亮一(2014)『居酒屋の誕生──江戸の吞みだおれ文化』筑摩書房
※4・・・加藤英俊(1977)『食生活世相史』柴田書店
※5・・・岡田哲(2012)『明治洋食事始め──とんかつの誕生』講談社
※6・・・橋本健二(2015)『居酒屋の戦後史』祥伝社
※7・・・モラスキー、マイク(2014)『日本の居酒屋文化──赤提灯の魅力を探る』光文社
※8・・・中村芳平(2018)『居酒屋チェーン戦国史』イースト・プレス

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