スベり続けた日々が、メンタルを鍛えてくれた

――「絶対に誰も怒らない」「自由にやってくれ」と念押しされていたとしても、本当に思い切れる人はかなり少ないように感じますが、番組では文字通り大暴れな立ち回りで確実に爪痕を残されました。

ムラムラタムラ そこもアングラ芸人ならではかもしれません。当時は月に20本ほどライブをやっていて、中でも同期と月1でやっていたライブが、とにかく粗い内容でした。オープニングとエンディングの20分くらい、何をするか全く決めずに臨んで、とにかく無我夢中に動きと勢いだけで好き勝手にやる時間を設けていたんです。

 この時間はひたすらスベり続けていました(笑)。ライブの中盤ではしっかりと新ネタもやるんですけど、オープニングでめちゃくちゃに荒らした後にやってもウケるわけがなくて。お客さんも多くて10人くらいでしたし、もちろん毎回赤字です。それでも自分がやりたいことをがむしゃらにやることで、確実にメンタルは鍛えられましたね。

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大先輩たちが「もっこり」してくれた

――鍛え抜いたメンタルと動きを武器に、初回出演で爪痕を残した有田ジェネレーションにはその後も継続的に出演されました。特に印象に残っていることや、手応えのあった回はありますか。

ムラムラタムラ 2回目に出演したときに陣内智則さんと共演したのは、今でもよく覚えていますね。憧れの芸人を聞かれて「陣内さんです」と答えたのですが、どう考えても陣内さんと自分の芸風が違い過ぎて、結構ウケたんですよ。このくだりの一環で、陣内さんの目の前で持ちギャグの「もっこりからのリーモコちゃん」をやったら、陣内さんも一緒にやってくれて。

 そこからバイきんぐの小峠さんやくりぃむしちゅーの有田さんまで巻き込んで、みんなで腰を振ったのは良い思い出です。というか今振り返ると「俺、すげーな」と思いますよ(笑)。「どうやったらこんなことができたんだ?」と。

 

 一方で、収録が毎回うまくいっていたわけでもなくて。コロナ禍のころだったこともあり、演者同士の接触を避けるために透明な大きいボールに入って出演したことがありました。初めての経験でしたし、暴れまくりたいけどうまく動けない。そんなときに、小峠さんがボール越しに殴ったり、助け舟を出してくれました。

 番組としては、きっと僕に場をかき混ぜて荒らしてほしいと考えているはず。にもかかわらず「何もできなかった」とものすごく申し訳なく感じて、収録が終わって小峠さんの楽屋に謝罪に行きました。後にも先にも、先輩の楽屋に謝罪に行ったのはこのときだけです。

――そのとき、小峠さんは何と?

ムラムラタムラ やっぱり優しい方なので「あれは難しいし、しょうがない」「全然気にしないで」と言ってくださいました。ありがたかったとともに、自分も先輩になったら、後輩のミスを取り返さなきゃいけないんだなあと思ったのをよく覚えています。