アメコミから飛び出てきたヒーローか、単なる変態か――奇抜なレオタード衣装を身にまとい、キレ良く腰を前後に振る「もっこりからのリーモコちゃん」というギャグを持つ芸人・ムラムラタムラ。2020年、「アングラ芸人」としてテレビ番組に出演して大暴れし、マヂカルラブリー・野田クリスタルが「お笑い界の救世主なのか」とSNSでつぶやくなど話題を呼んだ。

 同期に「さや香」「蛙亭」「真空ジェシカ」といった錚々たる顔ぶれが並ぶ中、近年は「お尻がぶりんぶりんするアニメを作りたい」とアニメ制作に乗り出すなど、我が道を突き進み続けるムラムラタムラ。そんな彼の生い立ちや、今後を聞いた。(全2回の2回目/最初から読む

芸人のムラムラタムラさん

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お米農家の次男から「もっこり芸人」に

――実家は島根県のお米農家だそうですが、芸人になることに反対はされませんでしたか。

ムラムラタムラさん(以下、ムラムラタムラ) 口に出して言われたことはありませんね。何なら芸人になる後押しをしてくれたのは母でしたし、うちは結構お笑い好きな家族なんですよ。

 母が好きなのはバラエティ番組で、僕の小さいころからテレビをよく見ていた印象があります。タモリさんや明石家さんまさん、笑福亭鶴瓶師匠やダウンタウンさんが特に好きでした。

 姉がいるのですが、こっちは母と違って『爆笑オンエアバトル』や『エンタの神様』といったネタ番組をよく見ていました。土曜日の夜には姉と一緒にエンタを見て、そこから『ギャグマンガ日和』のアニメを見るルーティンがあって、自分のお笑い像はこの辺りがルーツかもしれません。

 

 もちろん自分でもいろいろ見ていましたよ。『M-1グランプリ』もそうですし、ヨシモト∞ホールのライブもインターネットで見ていました。振り返ると、こういうコンテンツに触れながら自然にお笑いへと興味が向いていった感じです。

 そんな自分を見て、母が「そんなにお笑いが好きなら、こういうのがあるよ」と教えてくれたのが、NSC(吉本興業の養成所)でした。NSCの存在を知ったのは中学生のときで、そこからさらに芸人への興味が強くなって、夜行バスに乗って大阪の劇場によく行きました。なんばグランド花月もそうですし、京橋花月に行ってはネタを見ていました。

 どんどん気持ちが高まって、中学や高校と並行してNSCに通っている人もいるらしいと聞いたことから、高校に行かず中学の卒業後はNSCに行こうかと迷っていたくらいです。親に「大学に行ってからでも遅くないんじゃない」と言われたので、結局は高校卒業後になりましたけど。

 本当は高校も途中で辞めたくて、退学してNSCに行こうと思ったこともありました。でも「この先何があるか分からないし、高校は卒業してほしい」と説得されて、卒業まで通いました。

――芸風や衣装からは破天荒なイメージもあるムラムラタムラさんですが、親御さんの言うことに素直なのは、少々意外です。

ムラムラタムラ 高校生くらいになると丸くなりましたが、昔はひどいもんでしたよ(笑)。姉と兄がいる末っ子で、甘えに甘えた子どもでした。僕の生まれ育った地域では、わがままのことを方言で「じら」と表現するのですが、よく「じらを言う子やのう」とあきれられていました。

 小学生のときには、家族に「見たいテレビがあるから、この時間に起こして」と言ったのに起こしてもらえなかっただけでテレビの置いてある棚を蹴飛ばして壊したこともあります。誕生日にゲーム機を買ってもらったときは、僕としてはソフトも一緒に欲しいと伝えていたはずがうまく伝わっていなかったようで、ゲーム機だけをもらって母にブチ切れたこともありました。

 

 田舎だったので、ソフトを買いに行くのに何時間もかかるんですよ。せっかくゲーム機は目の前にあるのに、そんな遠くまでソフトを買いに行く時間はないから、その日に遊べない。それにどうしても腹が立って、とにかく怒りました。今思うと「母ちゃん、ごめん」としか言えません(笑)。