上京のきっかけは「おじさん芸人」

――ゆーひびの解散が2014年でした。そこから、10年以上にわたって「もっこり」を続けられています。違う芸風にしようと考えたことはありませんでしたか。

ムラムラタムラ ないですね。過去のR-1グランプリを見ていると年齢を重ねた方も多いですし、芸を磨くには、とにかく続けることが重要なんじゃないかと考えているんです。積み重ねたからこそ生まれる声のトーンや重み、哀愁的な「魂」ってあると思っていて、売れるにはこの魂が乗っかる必要がある、と。

 大阪から東京に拠点を移したきっかけも、こうした思いがあったからです。当時は吉本興業に所属していたんですが、大阪では漫才をメインにした劇場が増えていたタイミングで、ピン芸人の活動がしづらいと感じていました。

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 そんなときに錦鯉さんや虹の黄昏さんといったベテランでもすごいネタをしている方々の存在を知って「こんなに年齢を重ねても、東京ではこういうお笑いができるのか!」と感動して、上京を決めました。

 

 なのでもともと自分がすぐに売れるとは思っていなくて、2020年に『有田ジェネレーション』で話題になったときは「やばい、早いな」という気持ちでしたね。

「お尻がぶりんぶりんするアニメ」に取り組む理由

――現在は、芸人の「売れる」形が賞レースだけでなく多様化しています。ムラムラタムラさんも、M-1グランプリやR-1グランプリにエントリーしつつ、アートのイベント「デザインフェスタ」に出展するなど、さまざまな活動を手掛けているのが印象的です。

ムラムラタムラ 賞レースの結果はもちろんあった方が良いですし、M-1も小さいころからあこがれていたので、出られる限りは挑戦し続けたいと思っています。ただ、おっしゃる通り賞レース以外で世に出る方法もたくさんありますし、最近は国内だけでなく世界を見据えた活動を始めました。

――直近では「リーモコで、世界を救う!」として、ご自身が主人公のアニメ制作も始められました。Xでは「りーもこちゃんのお尻がプリプリしたりお尻がぶりんぶりんするアニメを作りたい!」とアピールされていましたね。

ムラムラタムラ 日本から世界に向けて何かを発信するときに、やっぱりアニメの力はすごいんですよ。世界各国で人気ですし、いろんな人に触れてもらいやすい。あと自分は衣装を含めて見た目のインパクトがあって、キャラクターにしやすいのも相性が良いなと感じています。

 

 ここまで自分の人生を振り返ると、ナルトや米国の「マーベル」など、アニメや漫画、映画の影響が大きいなと感じています。自分がもらってきたものを、今度はリーモコちゃんを通して恩返ししていきたいなと思って、アニメ制作を始めました。

 具体的には、自分のお笑いをアニメにして伝えることで、世界をより良くしていきたいなと思っています。笑うことや笑顔って、間違いなく世の中にとってプラスですよね。どんなに少しでも、笑顔を増やせれば、世界は良くなっていく。そして、その笑顔や、自分の存在を知った人が、また次の人に笑いを与えていけば良いなと思っています。