2025年1月28日、闘病中だった経済アナリストの森永卓郎さんが亡くなったことが明らかになった。享年67ーー亡くなるまでメディア出演、執筆活動などで勢力的に活動していた森永さんはどんな人生を歩んだのか? 病魔とどう戦っていたのか? 三五館シンシャが出したベストセラー『がん闘病日記』より一部抜粋してお届けする。
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ラジオという自由の大地
「ニュースステーション」出演の効果は大きく、それから私は多くのテレビやラジオに引っ張りだこになった。とくにどっぷり浸かったのがラジオだ。ラジオはテレビより自由度が高いからだ。
ニッポン放送で「ショウアップナイターニュース」という番組を松本秀夫アナウンサーと一緒にやったとき、番組宣伝のために、直前に放送されていた笑福亭鶴光師匠の番組に乗り込んだ。鶴光師匠がなぞかけを出題してきた。
「アスパラガスとかけて」
松本秀夫アナウンサーは「アシスタントの小野礼子さんと解きます」
その心は「まっすぐすくすくと育っています」。
「なんや、ふつうやな」と鶴光師匠。「森永、やってみい」
「アスパラガスとかけて乳頭と解きます」と私。
「マヨネーズをかけると美味しく食べられます」
それが気に入られて、私は鶴光師匠の弟子にしてもらった。笑福亭呂光(しょうふくて~ろこう)という名前だ。「しょうふくてエロこう」と名前にエロが潜んでいる。
いまでも、どんなお題でも乳頭で解くという日本唯一の「乳頭なぞかけ」を得意技にしているのだが、残念ながらニーズがほとんどない。ただ、似たようなことをずっとラジオでやり続けた。
盟友・垣花正との出会い
「ショウアップナイターニュース」は、プロ野球のシーズンオフに放送される番組だったので、私は夕方に新番組として放送されることになった「垣花正のニュースわかんない!?」に毎日コメンテーターとして出演することになった。そこで垣花正アナウンサーと出会うことになった。
私はすぐに彼の才能を見出した。垣花アナ自体が面白いわけではない。彼の最大の持ち味は、脳みその瞬発力だ。どんなに私が暴走したコメントをしても、しっかりと受け止めて球を返してくる。だから、垣花アナが一番輝くのは、隣に頭のおかしなコメンテーターを置いたときだ。もちろん、その代表格は私だった。