ノン君と私で父を迎えに行くことになった。平塚までは車で一時間くらいだろう。外は雨降りだった。横浜横須賀道路に入ったあたりでノン君が言った。
「よくやるよな、おじさんも。こういうこと、よくあるのか?」
「たまに」
「大変だな、お前たちも」
私は肩をすくめたが、正直に言えば、降って湧いたような深夜のドライブに、気分はすこし昂揚していた。
深夜のステーキ屋はガラガラだった。一人でぽつねんと座る父のテーブルには、赤ワインのデキャンタと、ステーキの鉄板。ワインはあまり飲まれた形跡はなく、食べ残した肉は冷めて脂が浮いていた。
「おう、来たか。ここは朝までやってる店でな。このへんで遊ぶ奴はみんな知ってる。俺も若い頃はよく来たもんだ。ハンバーグ食うか? 旨いぞ」
さんざん人を騒がしておいて、なにが「おう、来たか」だよと思った。だが腹は減っていた。それじゃあ、ということで、私たちはハンバーグを注文した。まだ音を立てている鉄板で供されたハンバーグはたしかに旨かった。
「食ったら帰れ。俺はこのままどっか行く。二、三日で帰るから心配するな」
われわれは帰途についた。ノン君は私を家に落とすと、あくびを噛み殺しながら走り去った。結局、本当に平塚までハンバーグを食べにドライブしただけで終わった。
翌々日、父は帰ってきて、伊東競輪に行ってきたと告げた。向こうで親しくなった人と一緒にレースを打ち、酒を飲み、同じ宿に泊まって温泉に浸かったそうだ。そのことを修学旅行の思い出のように語る父は、すっかり灰汁(あく)が抜けていた。この三日間の逃避行で、さまざまな覚悟を飲み込んできたのだと思った。しばらくして父は倒産を受け入れ、自宅も売り払った。
昨年、父を亡くしたあと、右の顛末(てんまつ)がなぜか頻(しき)りに思い出された。父の出奔。横横(よこよこ)道路。伊東競輪。行き詰まった中年男と、旅先での仲間……。本作『マイ・グレート・ファーザー』のモチーフはすべてここにある。
そして物語をつむぎ出したいという心の欲動の奥には、現実では起きそうにないことに対する「if」と「hope」が必ずある。もしあの晩に父が亡くなっていたら。もしもう一度だけ父に会えたら。もし旅先でできた仲間が自分だったら。
その希求と哀悼の気持ちから生じた作品世界を、担当編集者と共に、一文ずつ鏤刻(るこく)することができた。父の霊前へ捧げる佳い一冊となったことに、いまは静かに汐が満ちてくるような充実を感じている。
▼プロフィール
1977年生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。出版社勤務を経て、2013年「松田さんの181日」でオール讀物新人賞を受賞し、デビュー。19年刊行の『ロス男』で吉川英治文学新人賞の候補に。他の著書に『ライオンズ、1958。』『イシマル書房編集部』『道をたずねる』『素数とバレーボール』『ぼくもだよ。神楽坂の奇跡の木曜日』など。
