私は苦しくとも負けるわけにはいかないのだ。

この絶え間のないジンジンと感じる痛みは生きていることの実感なのであろう。そう思ってジッとその状態で自分の身体と向き合ってみる。もう元のように戻るのではなく、この身体に合わせた精神力を付けなければと考えるようになった。そんなことを考える私は「病と闘ってきた」段階から進み、なんとかして「病と共に生きようとしている」のではないかと思うようになってきた。そういえば撮影に集中している時は痛みを感じていない。どうやら脳の発する痛みが緩む時があるようなのだ。

この日常の苦しい時間に対処する中で、またこうして何かを書いている時も気がつくと痛みが少し緩んでいるのだ。気をそらし、何かに夢中になると痛みから解放される。

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「壊れた脳を騙(だま)している」のか、ヨシ! 私は色んな対処の仕方を時々に応じて考え、すり抜け、受け入れ生きようとしている。

撮影=安保文子

自力で脳のコントロールを試みる

私は右脳が壊れて左側に運動と感覚機能障害が残った。しかし言語を司(つかさど)る左脳が言葉を編み出し、健常である右手で、このようなことも書き記すことができている。

左の手足が不具合になり、初めは歩行するのも難しい状態であった。

それからのリハビリが、まずは歩くことに傾注したのは当然だろう、しかし、脳を傷つけ臆病になっていた私がずっと恐れていたのは、かろうじて繋ぎとめた「意識」がいつかどこかに持っていかれてしまうのではという不安であった。意識を失うこと、自分がわからない状態になること、認知症など大仰なことでなく、ただただ日常でうっかりしたり、思わず失態したりする意識のことである。

緊急入院時、病院で薬のせいもあったのか途切れ途切れに意識が飛ぶことがあり、怖い思いをしたのである。

左半身の痛みを和らげるためにどの医師も強い痛み止めの薬を薦めた。薬は脳に刺激を与えるので通常の意識レベルを下げる処置になるのではと思って、痛みが少しは和らぐとしても、私は薬は使わないで脳の現状を保とうとした。