無謀(むぼう)にも痛みを感じていないと脳に言い聞かせることで自分の力で脳をコントロールしようとしているのである。「痛いの、痛いの飛んでいけー」現代医学を無視した原始的な無茶な世界であるのはわかっている……。

脳科学者も解明できない幻肢痛

何かを感じたり、思ったりすることは全ては脳からの発信なのである。

この左半身の痛みはおそらくファントム・ペイン(幻肢痛(げんしつう))のたぐいのものであろう。例えば、足を失っていても、無いはずの足のつま先に痛みを感じる症状である。ただ脳が感じているだけなのであるが、この痛みは脳科学者でもまだ解明できていないという。脳を騙して痛みを和らげるくらいの研究が精一杯なのである。

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脳のことは誰にもわからない。笑われるかもしれないが、私が自分なりに原始的な取り組みでこの痛みに対処しようとしているのは、あながち間違いではないように思うのだ。

倒れてから今まで、私は健常な右半身だけを頼りに生きてきたので、どうしても感覚のない左半身に関心が及ばず、脳がその左半身の存在を忘れてしまうことがあるのだ。しかし身体全体で生きていくわけだから生活の中で左半身を置き去りにしたら命にも関わる危険な状態に陥ることになる。

健常者なら無意識でする何気ない動作も、私は自分が社会に馴染むにつれて脳が忘れがちになる左半身を意識して行動するようになっていった。

ギクシャクした身体全てが自分である

左手はどこにあるのか、テーブルの上か、膝の上にか、またポケットか、その位置を常に逐一確認する、歩きもまず感覚のない左足をどこに置くか、例えば、マンホールの上は滑るし、道に傾斜があるかどうかなど、一つひとつ確認して左足を踏みだし、そして健常な右足を一歩前に出し進む。健常者にとっては気の遠くなるような手順を踏んで生活者として生きている。必ず左を意識しないと危険なのである。

人よりも超スローだけど、置き去りにしていた感覚のない左半身を常に意識することで自分の危険とか事故を未然に防いで避けてきたのだろう。