日常生活を営む中で、脳に、ただ無意識で反射に任せる部分(右半身)と徹底的に意識して行う動作(左半身)を交互にコントロールすることで、壊れた脳を整理して身体全体を秩序あるものにしようとしているのだろうか。

そうか、そうだったのか、このギクシャクした身体全てが私であり、それでなんとかここまで生きてこられたのだ。

この「半身不具合の身体であることが、私は私なのである」と、つまりこの身体でなければ私ではなく、思考、行動、表現、発信の全てがこの半身不具合の身体から生まれていることを確認できたのである。

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新しい生命の誕生ともいえる感覚

退院してからは家に引き籠もりたくなるくらいの現実であった。

イクジナシの私はそんな社会に押しつぶされて負けそうになったが、思い切って病の前の健康だった六六年の健常生活の全てと決別する決意で、足を引きずりながらこの身体を恥ずかしがることなく突っぱって、笑われながらも積極的に街に世に出ていこうとしたのだった。

そのお陰だったのかもしれない。

極めて狭められた生活圏で生きている中であったが、この不具合な左半身が脳を通して私に教えてくれる。

「日常生活のリズムのスピードを落とせ、周りの人と同じようなリズムに合わせてボンヤリ生活していると、君は危ないよ。辛くても落とすんだ」

脳はシグナルを発し、休むことなく働き続け、そして指示を出しているのだ。

こうして生きて日常生活を営むかぎり、私の意識は常に途切れることがないのだと確認して、やっと意識が飛ぶという不安から解放されたのであった。この不具合の身体が脳を目覚めさせ、自分の欠落した部分、弱いところを意識することで全身が一体のものになったのだ。

この新しい生命の誕生ともいえる感覚が日常に入り込み、日々を生きる推進力になったことで、極めて自然に私はこういう運命だったのだと思うのであった。

「この身体であることが、私は私なのである」、この気持ちを基軸にしてもう一度人生を歩むこと。私が受け入れたのではない、この身体で、もう一度生きてみようと思ったのだ。