「最大の理由は日枝の子飼いの役員が飛ばされたからで、日枝は、次は自分がやられると思った。経営のあり方という大所高所からではない、実にくだらないクーデターだった」

トップを追い落とした者は、それを必要以上に恐れる

 日枝はパブリックカンパニーを目指すとし、1997年に上場を果たす。一方、鹿内宏明は追放されたものの、フジテレビの親会社だったニッポン放送大株主の立場を支えに、日枝との長き暗闘に入った。05年、日枝はニッポン放送との親子逆転を成功させたが、その渦中でライブドアが乗っ取りを仕掛けて騒動となった。財務の悪化も顧みず、日枝は巨費を投じて防衛に成功、これで盤石の体制が作られた。

お台場のフジテレビ本社 Ⓒ文藝春秋

 日枝の権力はグループの他の基幹社から末端まであまねく行き渡り、かつてクーデターで否定したはずの“グループ司令塔”を、2008年にフジ・メディア・ホールディングス(認定放送持株会社)という形で復活させ、トップに就いた。

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 日枝体制の大きな特徴は、組織や人事を完全掌握し社内を統制したことだ。日枝はかつてグループを支配した鹿内家の統治による萎縮、不自由さを批判し、打倒したが、権力を握るとそれ以上のことをおこなった。(文中敬称略)

※本記事の全文(13000字)は、「文藝春秋」2025年3月号と、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載されています(中川一徳「日枝久への引退勧告」)。
全文では、河川敷で火の上を歩かせるロケを行い、老人が重度のやけどを負った事件の詳細、2005年の買収騒動直後の株式総会の「やらせ疑惑」、日枝氏がもたらした「非道」などについて、レポートしています。