「島で暮らし続けるうちに気づいた」東京本土と青ヶ島の“働き方の違い”

 また、島での暮らしを続けるうちに気づいたのが、東京本土と青ヶ島での働き方の違いです。本土で働くのは楽しかったけれど、人間関係の悩みや電車通勤の疲れなど、いろいろなストレスもありました。

 でも青ヶ島には電車もありませんし、人口が少ないから知ってる人ばかり。だからこそ働きやすいというか。本土だったら、名前も知らない相手に無茶なクレームを入れる人がいますよね。例えば電車が遅延したとき、駅員に怒鳴り散らす人とか。

 でも青ヶ島だとみんな知り合いだから、何かトラブルがあっても理不尽に怒鳴り散らす人はいません。もし連絡船の運航が遅れても、文句をいう人はいない。少しでも早く連絡船を動かそうと努力している人の顔を、島民はみんな知っていますから。

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青ヶ島に連絡船が到着する様子

 東京本土から青ヶ島に完全に拠点を移してからは、デザイナーとして島の観光パンフレットを作ったり、YouTubeを通じて島の生活を発信したり。最近では移住体験の企画運営や、観光ガイドなどもやっています。仕事でも島に関わる機会がどんどん増えていって、いつの間にか「本土に戻りたい」と思うこともなくなっていました。

 今は、一生この島で暮らしたいと思っています。でも、青ヶ島には入院できる病院がありません。もし家族が重い病気になったら、島を出なければならない時が来るかもしれない。これまでにも、そういった理由で島を離れざるを得なかった人を何人も見てきました。

 でも青ヶ島には、課題に直面するたびに、島民で協力して乗り越えてきた歴史があります。私も、島の一員としてこれからの青ヶ島の未来を作っていきたい。もしいつか島を離れる日が来ても、島のために私ができることを考え続けたい。今はそんなことを思いながら、日々の暮らしを大切にしています。

取材・文=仲奈々
写真提供=佐々木加絵

次の記事に続く 絶海の孤島・青ヶ島在住の41歳女性が語る、「日本一人口が少ない村」の“知られざる教育事情”「島全体の子どもの数が減っていて…」

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