2/3ページ目
この記事を1ページ目から読む
(3)幟を建てて土地の接収に抵抗する人々(1953年)
新基地建設のために米軍は1953年土地収用令を公布、沖縄各地で土地を接収していった。宜野湾の伊佐浜では水田を含む広大な土地の接収に住民が抵抗したが、米軍はバリケードを張り巡らせてブルドーザーで家屋を破壊、水田に土砂を流し込んで強制的に接収を行った。
(4)土地接収に対する抗議集会(1956年)
本格化する米軍の土地接収に住民は激しく抵抗した。折衝の結果、米本国から調査団が派遣されることになったが、提出された報告書「プライス勧告」は米軍の土地政策を基本的に追認するものだった。住民の怒りは頂点に達し、「島ぐるみ闘争」と呼ばれる全島的な抵抗運動が巻き起こった。各地で一斉に開催された集会には、住人の4人にひとりが参加したとも言われる。



