戦前~戦後の沖縄を写した貴重な白黒写真を、最新のAI技術と手作業で着色。カラー化することにより当時に生きた人々の姿をよみがえらせた『カラー化写真で見る沖縄』(ボーダーインク)が話題になっている。

住民に話しかける米兵。住民のひとりが英語を話せたため米兵と直接交渉し、壕に隠れていたほかの住民にも投降するよう説得した。投降して助かるケースがある一方で、投降しようとして日本軍に射殺されるケースもあった。1945年4月1日。所蔵:沖縄県公文書館・カラー画像処理:ホリーニョ

 編者であるホリーニョ氏は、カラー化した沖縄の写真をSNSへ投稿する活動を続けており、これまで300枚以上の白黒写真を着色してきた。戦後80年の節目に発行された本書は、新規追加分を含む120枚のカラー化写真を戦前(近代)・戦中・戦後に分けて収録している。

 ここでは本書より、ホリーニョさんによる「まえがき」と1945年の沖縄のカラー化写真の一部を紹介する。着色前の白黒写真も掲載しているので、ぜひ見比べてみてはいかがだろうか。(全2回の1回目/続きを読む

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幼児を背負って歩く少女のそばを通り抜ける米軍のLVT(水陸両用車)。伊平屋島にて。1945年7月17日。所蔵:沖縄県公文書館・カラー画像処理:ホリーニョ

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 白黒写真カラー化との出合いは2018年頃で、東京大学大学院の渡邉英徳教授が、1935年の沖縄をカラー化した写真の展示会でした。その後、渡邉教授のワークショップでカラー化の手法や考え方を学び、一年後に沖縄で実際にカラー化を始めることになります。

 個人として、はじめてカラー化を手がけたのは、米統治下の1952~53年に米軍医だったチャールズ・ユージン・ゲイルさんが沖縄県内各地を回り、当時の人々の生活や風景を写した写真の展示会がきっかけとなりました。

真壁村伊敷(現 糸満市)にあった轟の壕から500〜600名の救助の手助けをした5人。左端の空手家・宮城嗣吉さんは先に投降し、米海兵隊に壕を攻撃しないよう懇願。再度、壕へ戻って隠れていた住民らを説得した。1945年6月24日。所蔵:沖縄県公文書館・カラー画像処理:ホリーニョ

 会場にいた人が、写真の前で当時の記憶を熱心に語っていたのを見て、すぐに展示されている白黒写真のカラー化の許可をもらい、那覇のカプセルホテルの狭い部屋でAIで着色する作業をしました。完成した写真をSNSに投稿してみると、一晩で100件以上の「いいね」がついたのです。

「これは喜んでもらえる取り組みになるかも」と、少しの手ごたえを得て活動がスタートしました。