初の歴史小説『潮音(ちょうおん)』の第1巻を上梓した、小説家の宮本輝氏。国際日本文化研究センター教授の磯田道史氏と、作品の執筆背景や当時の日本の姿を語り合った。

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『潮音』という作品の異色さ

 磯田 この度宮本さんが第一巻を上梓された『潮音(ちょうおん)』(全4巻。小社より順次刊行)は、越中富山の薬売りを主人公に、幕末から明治初期の日本を描いた壮大な歴史小説です。歴史小説を書かれたのは、はじめてでしょうか?

 宮本 ええ、何もかも手探りで、結局書くのに足かけ10年もかかってしまいました(笑)。磯田さんは『無私の日本人』(文春文庫)で、大田垣蓮月をはじめとする江戸時代の人物たちを、あたかも目の前で生きているかのごとく書いていらっしゃる。今日はその秘訣を伺いたいと思って来ました(笑)。

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宮本氏(右)と磯田氏 Ⓒ文藝春秋

 磯田 尊敬する宮本先生に褒められると本当に嬉しい。恐縮すぎて、穴がなくても、どこかに入りたくなります。坂本龍馬のようなヒーローが主人公の幕末歴史小説は珍しくありませんが、ご作品の『潮音』は異色です。無名の庶民の眼からこの時代を描いていました。

 日本では幕末から明治にかけて、人類史上例を見ない大変化が短時間に起きました。福沢諭吉は『文明論之概略』の緒言で「一身にして二生を経る」経験と書いています。西洋化、近代化を受け容れるなか、一人の人間が二度の人生を生きるほどの変化を味わい翻弄されたわけです。

 この大変化は、武士だけが経験したわけではありません。庶民も同じでした。『潮音』を拝読して、それを肌身に感じました。

宮本輝氏の新刊『潮音 第一巻』(文藝春秋刊)

 宮本 ありがとうございます。

 僕は昭和22(1947)年の生まれで戦争を知らない世代ですが、やっぱり敗戦というのも日本人が「一身にして二生を経る」激変だったと思うんです。そして敗戦後に生まれた僕たち団塊の世代が生きてきた時代は、とにかく社会の変化のスピードが速かった。主にアメリカから入ってくる新しい発明品なり、文化なりに真っ先に触れる経験をしてきた世代なんです。たとえば真空管ラジオがトランジスタに代わり、ブラウン管テレビが出てきて、今度は液晶になる──といった風です。文化の面でも、中学生や高校生の頃にビートルズにリアルタイムで出会い、それまで聞いていた音楽との違いに衝撃を受けました。

 そういう意味では我々の世代は、急激な変化への耐性が強い気がするんです。ちょんまげ頭を散切り髪にして、和服を洋服に着替える変化をわずか数年間に経験した幕末・明治の日本人の気持ちが、なんとなくわかるような気がします。