ハリスと徳川家定の会見では…

 磯田 1978年に『未知との遭遇』というSF映画が日本でもヒットしました。人類が宇宙人と出会う話です。幕末の日本人にとって「未知との遭遇」は異人との出会いでした。同じ地球の別域から来た人々に驚き恐怖し好奇心も抱いたのです。

 宮本 本当に宇宙人と会ったぐらいの衝撃だったと思いますよ。なにしろ、ペリーは身長195センチぐらいあったらしいですが、徳川将軍は身長150センチあるかないかぐらいでしょう。まさに、「大人と子ども」です。

宮本氏 Ⓒ文藝春秋

 磯田 実際、アメリカの初代駐日公使ハリスが13代将軍家定に謁見した際は、家定を床から60センチ高い台の上に乗せる滑稽な計画が練られ実行されました。体の貧弱な将軍を威厳のある高さに見せかけようとしたのです。

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 宮本 そういう噂は、庶民の間にもだんだんに広がっていく。そうして永久不滅と思われていた幕府が、「あれ、意外と弱いんちゃうの」と急に軽く見られるようになったんだと思います。噂話が日本全国に広がっていく間には、尾ひれ背びれがついて大げさになっていく。南の端の薩摩藩に届く頃には、「おい、将軍が異人に土下座したらしいぞ。大したことないから、みんなでやっつけてしまおう」ぐらいの勢いがついてしまったんじゃないでしょうか(笑)。

 磯田 そういう面はたしかにあるでしょうね。

 薩摩藩の動員可能兵力は10万人近いとされます。兵農分離がなされておらず、ふだんは木こりや漁師をしている郷士たちが、戦時には武器を手に全土に100を超える一国一城令に矛盾した砦に拠って戦う仕組みでした。歴史小説では司馬遼太郎さんも、この郷士制にふれています。薩摩藩はイギリスから新式のスナイドル銃を大量に買い集め、地上の敵を炸裂弾でなぎ倒す大砲も備えていました。日本の中で幕府が軍事的に滅ぼせない唯一の藩になっていました。

※本記事の全文(約9500文字)は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載されています(「薩摩の倒幕を助けた富山の薬売り」)。
全文では、下記の内容についてもお読みいただけます。
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