生き残り戦略、女性観、死生観まで語り尽くす——。国際日本文化研究センター教授の磯田道史氏、徳川記念財団理事長の徳川家広氏による対談「徳川家康を暴く」(「文藝春秋」2023年4月号)を一部転載します。
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1月に放送が始まったNHK大河ドラマ「どうする家康」。松本潤演じる主人公の徳川家康は、従来の老獪なイメージを一新する「弱小国の青年城主」だ。織田信長や武田信玄といった強敵に追い詰められて悩み、狼狽する情けない姿が描かれている。そんな家康は、いかにして天下人となったのか。
今年1月、徳川家康から始まる徳川宗家を継承し、第19代当主となった徳川家広氏と、新著『徳川家康 弱者の戦略』(文春新書)で最新の研究から「弱い家康」を読み解いた歴史学者・磯田道史氏の2人が、家康の実像について語り合った。
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「なぜ家康公は岡崎で幕府を開かなかったのか」
磯田 このたびの徳川宗家の当主継承、おめでとうございます。
徳川 ありがとうございます。
磯田 ちょうど大河ドラマ「どうする家康」が始まったタイミングでしたね。普通の家の相続ではありませんから重圧も相当だと思います。家広さんも、ドラマの家康公のように「どうすればいいんだ」と悩まれたんじゃないですか。
徳川 いえいえ(笑)。いまの日本は、家康が生きた時代に比べれば、平和な世の中ですから。ドラマは、愛知県岡崎市のパブリックビューイングで初回を拝見したんですよ。
磯田 それは岡崎の人たちは喜んだでしょうね。
徳川 いま岡崎にある「三河武士のやかた家康館」の名誉館長をしているんです。さらに浜松市にある「大河ドラマ館」の名誉館長、「静岡市歴史博物館」の名誉顧問も務めていまして。
磯田 どの町も、家康ゆかりの土地ですね。
徳川 ですから、それぞれ地域の立場があって、今日も家康の前半生は語りにくい(笑)。たとえば、「どうする家康」の第2回で、岡崎に帰りたいと主張する家臣たちに、家康が「(生まれ故郷の)岡崎なんぞより(妻と子どもがいる)駿府がよっぽど好きじゃ」と言い放ったシーンがあったでしょう。駿府は今の静岡ですから、そういうときは私が岡崎に行った時にフォローするんです。「そんな家康公の思いを汲んで良い町にしたから、今の岡崎はこんなに素晴らしいんです」と。
磯田 難しい立場だなあ(笑)。
徳川 以前に岡崎で「なぜ家康公は岡崎で幕府を開かなかったのか」というテーマでお話ししたときには、地元の方が講演後にボソッと「みんな心の中では、その点を疑問に思っているんですよ」と呟かれた。今でも家康への思いが繋がっているのだと驚きました。