間違いだらけの米外交
トランプ大統領は最初から、外交的に見ても基本的な間違いを繰り返していた。3月8日に、金正恩委員長からの首脳会談開催提案を即決で受諾した、その時からである。
米朝首脳会談は、以前から北朝鮮側が渇望してきた。それに同意するわけだから、米国側が高いハードルを設定して、非核化を早期に実行させる行動を北朝鮮側に要求することもできた。
逆に、着々と手を打ってきたのは北朝鮮側だった。3月と5月の中朝首脳会談で非核化を「段階的、同時並行的」に行うことを確認。4月20日の朝鮮労働党中央委員会総会で核実験と大陸間弾道ミサイル発射実験の中止、さらに核実験場の廃棄を決定。4月27日の南北首脳会談では「完全な非核化」を目標とすることを決めた。
これに対し、トランプ政権はH.R.マクマスター前補佐官が更迭されてボルトン補佐官が就任。さらにマイク・ポンペオ前中央情報局(CIA)長官が国務長官に昇進する人事の移行期と重なったこともあり、米朝首脳会談に臨む態勢の整備が遅れた。
徹底的な検証措置には日数をかけた交渉が必要だが……
その間、ボルトン補佐官とポンペオ長官の間の主導権争いとみられるようなことも起きた。そのひとつが、北朝鮮非核化を「リビア方式」で進めるというボルトン説だ。ボルトン氏は大統領への忠勤に努めたつもりだったかもしれない。
リビアは2003年にパキスタンの「核の闇市場」からウラン濃縮装置と技術を入手したが、それが露見して3カ月後に、リビアが入手した装置と技術を米国に送付させることに成功した。リビアは、核兵器保有の前に非核化したわけで、20~60発の核兵器を保有しているとみられる北朝鮮のモデルにはなり得ない。北朝鮮の核開発センターがある寧辺には建物が約400棟、秘密の核施設は40~100カ所といわれ、徹底的な検証措置を定めるには相当の日数をかけた交渉が必要になる。
しかも、2011年に「アラブの春」でカダフィ大佐は政権を追われ、殺害された。朝鮮中央通信は当時、「リビアもイラクも核兵器を保有していなかったので、崩壊した」と報道。北朝鮮にとってリビアとイラクの失敗を避けるのは当然であり、ボルトン氏らの発言に憤りを感じたに違いない。
この間、金正恩委員長と2回会談し、米朝首脳会談の準備作業を主導していたポンペオ氏に対抗する形で、ボルトン氏は持論をテレビで紹介し続けていた。
しかし、準備作業の再開後、ボルトン氏は目立った発言をしておらず、大統領から発言を抑えられた可能性もある。