韓首相も戒厳令を阻止するため、閣僚たちにソウル・竜山の大統領室に集まるよう指示した。

 韓国行政安全省などによれば、国務会議を開くために必要な定足数の11人に達した3日午後10時17分、国務会議が始まった。場所は閣議室ではなく大接見室だった。

 韓国では、会議の開会と閉会にあたっては、木槌(ギャベル)を叩くのが通常だが、尹氏はもどかしそうに、こうした儀礼を省いた。そして、なぜ、自分が戒厳令を決意するに至ったかという説明を2分ほどで読み終えた。

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 閣僚たちはある者は驚いた表情で、またある者は茫然とした表情で、早口でまくし立てる尹氏を見ていた。大統領室は閣議の発言録や速記録は残っていないと説明しているが、閣僚11人のうち、少なくとも韓悳洙首相、崔相穆経済副首相兼企画財政相、趙兌烈外相の3人は強い反対の意思を示したという。

韓悳洙首相 ©getty

 なかでも趙外相は、説明を終えて引き上げようとする尹大統領に追いすがり、「外交がめちゃくちゃになります」「絶対に戒厳令はダメです」と迫ったが、すでに尹氏の考えは固まっていた。

 閣議は10時22分に終了した。尹氏はそのまま、記者会見場に移動すると同23分、戒厳令を布告した。尹氏の発言は民主主義国家のリーダーとしては異様と言わざるを得ない内容だった。尹氏はこう語った。

「自由大韓民国の内部に暗躍している反国家勢力による大韓民国体制転覆の脅威から自由民主主義、国民の安全を守るため、2024年12月3日午後11時付で大韓民国全域に以下の事項を布告する」

 韓国政府元高官は「これは、通常の手続きに沿った文書ではない」と解説する。

「大統領の会見であれば、通常は官僚が下書きをし、担当部署のトップが推敲したうえで、大統領に見せる。官僚が『暗躍』だとか『反国家勢力』などという言葉を使うはずがない」。実際、この文章は戒厳令について事前に相談を受けていた金龍顕国防相(当時)が下書きし、尹大統領が直々に手を入れたという。

 金龍顕国防相はすぐに全軍指揮官会議を開催した。そこで戒厳司令官に任命した朴安洙陸軍参謀総長(当時)に対し、朴氏の名前で出す戒厳令の布告文を手渡した。朴氏は「法的に正しい手続きを踏んだのか」と金氏に尋ねたが、金氏は「法的な検討は終わっている」と答えたと、国会で証言した。金氏は尹大統領から全権を委任されているという趣旨の発言も行った。

 だが、戒厳司令官は戒厳令下では、すべての行政機関を統轄する役割を担う。まったく事前の準備ができていない朴氏らは驚き、混乱しているうちに、午後11時になり、戒厳令が布告された。

動き始めた韓国戒厳軍

 戒厳令は、「国会と地方議会、政党の活動と政治的結社、集会、デモなど一切の政治活動を禁じる」「すべての報道と出版は戒厳司令部の統制を受ける」など、6項目からなっていた。

 すぐに韓国戒厳軍が動き始めた。戒厳軍兵士約300人が戒厳令布告時間よりも前の3日午後10時半ごろ、韓国中央選挙管理委員会の庁舎に侵入した。選管職員5人の携帯電話を押収するとともに、電算室で選挙人名簿を管理するサーバーを撮影した。

 次に午後11時48分ごろ、韓国陸軍特殊戦司令部傘下の兵士ら約280人が韓国国会に軍用ヘリコプターなどを使って投入された。国会に侵入した戒厳軍を指揮した郭種根特殊戦司令官(当時)は、尹大統領から、国会議事堂にいる議員らを外に出せという指示を受けていたと明かした。憲法によれば、議員総数の半数が賛成すれば、戒厳令解除を決議できることを念頭に置いた指示とみられる。兵士たちは日が変わった4日午前零時半ごろ、国会議事堂2階の窓ガラスを割って内部に侵入した。

 一方、国会議員たちはどうしていたのか。

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牧野 愛博

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次の記事に続く なぜ共に戦った同志まで逮捕しようとしたのか…韓国「戒厳令」を理解するうえで欠かせない“美しすぎる大統領妻”の存在

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