2024年12月3日――民主化後、初となる「戒厳令」を宣告した韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領。戒厳令下において絶大な権力を握る戒厳司令官さえ、あまりに突飛な事態ゆえに混乱したという同事件は、なぜ起きたのか? 朝日新聞元ソウル支局長の牧野愛博氏の新刊『韓国大乱』(文春新書)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)

2024年12月、韓国の戒厳令はいかにして起きたのか? ©getty

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早口でまくし立てた尹大統領

 2024年12月3日火曜日の韓国・ソウル。シベリア寒気団の南下から、夜間は氷点下に冷え込む日が続いていたが、街は活気にあふれていた。韓国の実質国内総生産(GDP)成長率は前年比で2021年4.3%増から2022年2.6%増、2023年1.4%増と減速していたが、韓国政府は7月、2024年の実質GDP成長率見通しを従来の2.2%から2.6%に上方修正し、経済にもわずかだが明るい兆しが灯った。K-POPや韓国ドラマの世界的な浸透で、外国人旅行客は過去最高だった2019年の1750万人に迫る勢いをみせていた。

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 歳末に向けて、慌ただしさを増すソウルで一カ所だけ、暗く冷え込んだ場所があった。ソウル中心部の汝矣島。国会議事堂や各政党の党本部などが立ち並ぶ、韓国の永田町とも言える政治の中心地だ。そこでは、まるで未来が見えない政治闘争が日夜繰り広げられていた。原因は定数300のうち、過半数を超える進歩系最大野党「共に民主党」の強烈な国会運営だった。11月29日も、国会予算決算特別委員会で、同党は来年度予算減額案を単独可決した。予算案を野党が単独可決したのは韓国憲政史上初めてだった。

 保守系与党「国民の力」は、野党の議事運営に抗議して採決前に退席した。減額された予算には、大統領秘書室・国家安保室の特殊活動費などが含まれていた。韓国大統領室は12月1日、「共に民主党」が予算減額を撤回しない限り、来年度予算の追加交渉を拒む姿勢を明確にした。

 大統領室が野党との対決姿勢を改めて強調した2日後の12月3日夜。尹錫悦政権の国務委員(閣僚)たちに次々に連絡が入った。韓悳洙首相は国会での証言で、同日午後8時半ごろ、戒厳令の動きを知ったという。憲法第77条が定める、「非常戒厳(戒厳令)」を敷くために必要な国務会議(閣議)への緊急参集の指示だった。