ご家族のエピソードはなぜ“断片的”だったのか

 ただ、そのエピソードは愛子内親王のそれと比べると、やや断片的なようにも思われる。それぞれの家族のエピソード、つまり、父親はこう、母親はこう、姉たちはこうといった具合で、家族一緒のものとなるとパフェの話しかない。その意味では、一家としての仲の良さというエピソードではないようにも見える。ここに大きな違いがあった。

4月からは筑波大学に通われる悠仁さま[代表撮影] ©時事通信社

強い意思による、秋篠宮さまの「いじめ的情報」発言

 しかしこれは、天皇家よりも秋篠宮家は仲が良くないという単純な話でもないように思われる。この背景には、近年の秋篠宮家に対する逆風や「私」を優先していることへの批判という風潮が根底にあるのではないか。

 昨年、紀子妃は誕生日に際しての文書回答のなかで、宮内記者会からの「ネット上などで秋篠宮家へのバッシングともとれる情報による批判」という言葉を「ネット上でのバッシング」と言い換えた。あくまで記者は「ともとれる」という言い方をしていたものを、紀子妃は「バッシング」と言い切った。

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三笠宮妃百合子さまの「斂葬の儀」に参列された秋篠宮ご夫妻 ©時事通信社

 さらに秋篠宮は同年の誕生日の記者会見で、「当事者的に見るとバッシング情報というよりも、いじめ的情報と感じる」と強調した。当事者である秋篠宮家にとって、小室圭さんと眞子内親王の結婚をめぐる騒動以降に吹き荒れる自分たちへの批判に対して、かなり思いつめており、強い意思を吐露するようになったのである。悠仁親王に関して言えば、東京大学への入学に反対する署名運動まで起きた。その秋篠宮家に対する批判のなかに、彼らが自身の「私」を重要視しているという声は大きい。

 悠仁親王が今回の成年会見のなかでプライベートな問題をかなり慎重に話していたのは、こうした背景があったからではないだろうか。家族の「私」の部分が多く語られればネガティブに捉えられかねない。そうした状況への配慮とも言えるだろうか。

天皇陛下や秋篠宮さまの成年会見と比べると…

 一方、昭和の時代、父親である秋篠宮(当時は礼宮)の成年会見(1985年11月29日)では、多岐にわたるプライベートな話題が取り上げられている。自身の興味がある自然史(特にナマズ)、訪問したイギリスやタイの印象、大学で学んでいる中国語についてなど。秋篠宮はそれほど上手ではないと注釈を加えながらあえて中国語で話すなど、かなりのアドリブを交えて会見は進められた。