『万引き家族』で「見捨てられた人々」を描いた是枝監督
主人公の柴田家の人々は祖母の初枝(樹木希林)の年金を頼りにしつつ、一家の大黒柱である治(リリー・フランキー)は肉体労働、妻の信代(安藤サクラ)はクリーニングの下請け労働、妹の亜紀(松岡茉優)は本番なしの風俗といった仕事をし、まだ子どもである祥太(城桧吏)は万引きで生活用品を補う生活をしています。ある冷え込んだ夜の帰り道、治と祥太は団地の廊下に幼い女の子がひとりでいるのを見つけます。室内からは激しいDVの騒ぎが外まで響き渡っており、そんな親たちに引き渡せる雰囲気ではありません。とはいえ少女を冬の夜更けに放置するわけにもいかず、彼らはひとまず彼女を自宅に連れ帰ります。
この映画に集約されるテーマを表すなら「見捨てられた人々」でしょう。柴田家の者たちはみんないわく付きであり、息子や両親から、または犯歴によって社会から見捨てられています。そして人間が一度孤立してしまうと、社会に再び溶け込んでいくのはいっそう難しくなってしまうもの。柴田家は一見、社会から隔絶しつつも、それぞれが家族の役割を果たし幸せそうに見えます。けれどもそんな絆で結びついているはずの家族ですら、「見捨てる」「愛情を偽る」行為への疑惑が、頭(こうべ)をもたげてくるのです。
目黒区で起こった幼女虐待死事件を連想する
この映画自体に強い政治的意図は感じません。貧困が犯罪につながりやすいのは世界的に同じであるし、どこの国の政権下においても、市民の中には不条理な出来事や怠惰などの事情で、最小単位の家族を作り上げることに失敗し、身を滅ぼしていく層がいて、本作はそんな人々を描いた作品です。特に幼児に対する虐待やネグレクトに重点が置かれているため、この映画の感想としては、つい最近目黒区で起こった幼女虐待死事件を連想したり、児童福祉司の不足問題に目が向くのも自然でしょう。封切り前から騒がれた本作ですが、もし事前に反発を抱いていたとしても、一応鑑賞して、本当はどういう映画なのかを確認するのも大事だと思います。