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絶望から生まれた幻の「新党ゼロ」は何を訴えたかったのか

座談会・支持率ゼロ政党の「新しい地図」#1

2018/06/15

genre : ニュース, 政治

落選後の半年間は警備員のアルバイトをしていた

――3年間の浪人生活は決して短くない。支持率低迷にあえぎ、内紛が絶えなかった党からの「支援ゼロ」状態で、どうやって雌伏の日々を生き抜いてきたのでしょうか。

青山 僕は、大学を出てすぐに国会議員の秘書になって、当時の全国最年少で県議になって、政治一本でやってきて、2014年の衆院選に出た時に持ち金を全部ぶち込んでしまったので、落選後の半年間は警備員のアルバイトをしていました。朝は駅に立って「落っこちちゃいました」と謝って、昼は支援者にお礼参りをして、それから仮眠を取って警備員という生活。今はこうして言えるようになったけど、当時は恥ずかしくてコソコソしながらやっていました。

 

 どういうところで警備員をしていたの?

青山 これが、偶然で面白くて。霞ケ浦に茨城県が持っている土浦港という港があって、県議時代に土木委員会に所属していた時、そこを県から市に権限を移して民間委託することを決めた。その半年後、僕が土浦港の警備をすることになりました。僕を支援してくれている会社に相談したら、たまたまその仕事をもらえて。笑っちゃうよね。

森田 面白い。

 

青山 深夜の警備だから、電話もかかってこない。毎晩、朝までひとりの時間なんですよ。湖のほとりで、冬場は寒い。でも逆に考える時間はたくさんある。おかげで、なんで自分は政治をやりたいのか、自問自答を続けることができた。まさに、ゼロにリセットできましたね。

 

選挙戦最終日に燃料切れが来るように逆算

 すごいなあ。僕なんか、今年7月に4人目の子どもが生まれる予定なんですが、2014年の衆院選に落選した後から2017年に初当選するまでの間にも、家族が2人も増えました(笑)。党からのお金はすべて活動に消えていきますから、NHK時代の貯金を取り崩しつつも、自分のオヤジがまだ現役で働いていたので、正直な話、親のスネをかじらせてもらっていました。だから、2014年に負けてからは「次が最終戦」だと決め、すべてを出し切ろうと、選挙戦最終日に燃料切れが来るように逆算をしながら活動していましたね。

 

青山 そういうふうに吹っ切れると、逆に身軽になるんだよね。

 森田さん、青山さんと違って、僕は落下傘候補なので、オヤジには悪かったけど、借りたお金を持って不動産屋に行き、選挙区内に新居も購入しました。やっぱり借家ではなくて、家を構えることで「私は逃げない」というアピールになるので、保守層からの見られ方が変わりました。とにかく全部の不動産屋を回って相談して、「関が家を探している」という噂が広まるだけでも、地元の方々には本気度を感じてもらえましたからね。実際に支持してくれる方々もだんだんと増えていくのがわかりました。

※ #2[野党1年生が国会議事堂で小泉進次郎をにらみつける理由]に続く

森田俊和(もりた・としかず)
1974年埼玉県熊谷市生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程単位取得退学。2012年、埼玉県議2期目の途中で、衆院選に初挑戦し落選(埼玉12区、無所属)。14年、衆院選(同、次世代の党)で落選。17年、衆院選で初当選(比例北関東ブロック、希望の党)

青山大人(あおやま・やまと)
1979年茨城県土浦市生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、丹羽雄哉元厚相の秘書に。茨城県議を2期務めた後の2014年、衆院選に出馬し、落選(茨城6区、民主党)。17年、衆院選で初当選(比例北関東ブロック、希望の党)

関健一郎(せき・けんいちろう)
1978年神奈川県鎌倉市生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、NHKに記者として入局。高松放送局時代に玉木雄一郎議員にスカウトされ、2014年、衆院選に立候補、落選(愛知15区、民主党)。17年、衆院選で初当選(比例東海ブロック、希望の党)

写真=山元茂樹/文藝春秋

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