告別式の会場では「悔しいです。絶対に生きると思っていた」と南野陽子さんが彼女の死を惜しんだことも…。2005年、白血病で亡くなった歌手の本田美奈子さん。亡くなった今もファンや友人から愛され続ける彼女の人生とは? 朝日新聞編集委員で、昨年10月に亡くなった小泉信一氏の『スターの臨終』(新潮社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/続きを読む)
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白血病で亡くなった歌手・本田美奈子
「元気です。順調に回復しています」
ひたむきに努力を積み重ねてきた人だった。物事に突進するエネルギーはすさまじかった。「天使になった歌姫」。没後、そんな言葉で称賛されたが、素顔の彼女は傷つきながらも絶えず立ち上がり、自分と向き合う「戦士」だった。
2005年11月、急性骨髄性白血病のため38歳で亡くなった歌手・俳優の本田美奈子(2004年11月に改名後は本田美奈子.=本名・工藤美奈子)。彼女は、あどけない顔立ちと、驚くほど華奢な体にもかかわらず、3オクターブを行き来したという透明感のあるパワフルな歌声で多くの人々を魅了した。彼女の歌声を聞くと、まるで自らの使命を全うする覚悟を決めたかのような迫力を私は感じた。
「元気です。順調に回復しています」
病室から送った笑顔をたたえたメッセージが、亡くなる前にテレビ番組で流れたこともあった。「血液細胞のがん」と言われる白血病の何が生と死を分けたのだろう。
当時の報道を振り返ると、前年の2004年暮れぐらいから体のだるさを感じ、年が明け、「念のために」と病院で診察を受けた結果、急性骨髄性白血病とわかったという。
「どうして私が……」。のちに闘病する自分の姿をカメラで映すほど気丈に振る舞った本田だったが、医師から病気を告げられた当初は納得できなかったに違いない。あまりのショックに、その場で泣き崩れてしまったそうである。デビュー20年目。「さあ、これからだ。頑張ろう」と思っていた矢先に病気が発覚した。
この病気は、がん化した白血球が増殖し、抵抗力が極度に弱まり、ほかの病気に感染しやすくなる。そこで、厳重に管理された無菌室に即入院となった。入院当初は落ち込んでいたようだが、少しずつ元気を取り戻す。「退院したら、あれもしよう、これもしよう」と考えを切り替えることで、自分への励ましにもなったのだろう。ファンから送られてくる応援メッセージ、手紙やFAXは、1日に70~80通にのぼった。本人はそのすべてに目を通したという。
亡くなる前日には、友人でもある歌手の岩崎宏美と俳優の南野陽子が病院に駆けつけた。本田は、「ありがとう」と目に涙をいっぱいたたえ、まばたきを繰り返したという。
彼女自身も周囲も、絶対に舞台に復帰すると思っていたが、奇跡は起きなかった。
「悔しいです。絶対に生きると思っていた」
告別式の会場で、南野が涙をこらえながら集まった報道陣に対して言葉少なに答えた。
そういえば、あるとき、こんなこともあった。埼玉県朝霞市の本田の出身小学校で開かれた「しのぶ会」で、マネジャーが入院中の出来事について話した。

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