なぜ鳥山は大儲けできたのか
この組織を通じて盲人に地位や名誉を保証したのが、検校以下の官位だった。だが、最低位から最高位まで少しずつ上がるには、原則として「官金」という免許料を幕府に上納する必要があった。しかも、73段階を上がって検校に上り詰めるまでには、719両(7200万円程度)もの金額が必要だった。
しかし、支払われた官金は、座の運営費などを差し引いた残りが、配当として検校や別当、勾当に分配され、官位が高いほど多くの配当が得られた。営業権の保証という特権も官位次第で得られた。なにしろ、トップの検校になれば、得られる利権は小さな大名を超えるといわれたほどで、巨費を投じてでも官位を得たい盲人は多かった。
そのうえ幕府は元禄(1688~1704)のころから、盲人保護の手段として、金貸しによる利殖を認めていた。たとえ元手がなくても、座の積立金の一部を借りて貸し出すことまで認められた。こうして盲人による高利貸しが盛んになったのだが、鳥山検校もまた、金貸しによって大儲けした盲人の一人だった。
しかも、その手口はまさに「あくどい」という言葉がふさわしいものだった。検校たちが貸し付けたのは、幕府からの禄が少なく生活苦を強いられている弱小の旗本や御家人のほか、財政的に窮している大名家までふくまれた。貸し付ける際は、利息分や礼金など一定額を前引きしたうえで、年3割とか6割といった法外な利息を課したという。
身請けから3年目に起きた出来事
結果として相手が返せないと、武家屋敷の玄関先に札を立てて座り込んだり、周囲にくまなく聞こえるような大声で催促したりと、相手を自死寸前まで追い詰めるほどの苛烈な取り立てをしたという。
蔦重の時代、人目もはばからず毎日のように吉原で豪遊する検校などの盲人が目についたそうだが、豪遊の資金はいみじくも蔦重がドラマで指摘したように、こうして「幕府の優遇策に乗じて」稼いだ「大金」だった。むろん、瀬川を身請けするための身代金も、幕府の保護政策を悪用して得たものだ。