番組において最終的に目指すこと
喫煙所で投げかけた私の言葉に、山森は少し間をおいて「わかった」と言った。私と山森は、それぞれの取材内容を持ち寄り、改めて提案を書き始めた。放牧中の牛を相次いで襲い続けている正体不明の“怪物”がいること。2年が経過したいまも、目撃情報が一切ないこと。牛を食べた形跡がなく、動機がいまだ不明であること。
そしてそのヒグマにOSO18という名が与えられ、いまもハンターたちによって追跡が続けられているが、捕獲の見通しがまったく立たないこと。番組のねらいは、このヒグマの追跡劇を現在進行形のドキュメントとして記録しながら、その誕生の背景に迫る、というものだった。
この番組において最終的に目指すことは何なのか。締め切り日前日の夜、過去の記事や取材メモを照らし合わせながら、山森と話し合っているとき、2人で気付くことがあった。私たちはヒグマそのものではなく、そこに視線を注ぐ人間という存在について描きたいのだ、と。
自然を支配し、作り変えると同時に、人知を超えた自然に恐れをいだき、同時に未知の存在に心を惹きつけられるのはなぜなのだろう。人々が、メディアが、そして、自分たち自身が。
この番組は「人間たちの物語」である
提案の最後にはこう記してある。
OSO18とは、いったい何者なのか。
人間が自然をコントロールしてきた時代の終焉を告げる存在なのか。奪われた土地に再び侵入する無数の獣たちの象徴なのか。
あるいは、善を求めて過ちを犯す人間の写し鏡なのか。
――見えない怪物に、人間は何を見るのか。
この番組は、OSO18という空洞を中心にして展開される「人間たちの物語」である、というのが私と山森の共通認識だった。もしこの企画が採用されれば、OSO18と対峙し、捕獲に向かう人間たちの姿を群像劇として半年かけて記録し、次の夏の放送を目指そうと話し合った。
A4一枚の提案を書き上げた頃には、締め切り当日の午前2時になっていた。
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