『二十一世紀民藝』(赤木 明登 著)

 本作の著者、赤木明登さんと、とある美術館のトークショーでご一緒させていただいたことがある。

 このところの「民藝ブーム」で、輪島塗の塗師(ぬし)、赤木さんの器は、それはもう大変な人気である。実は私もしばらくまえから所望していたのだが、なかなか手に入らず、どうやったら手に入れられるのか、直接ご本人にお聞きしようとずるいことを考えた。そうしてお目にかかった赤木さんは大変気さくな人柄で、お話も抜群に面白かった。お話の中で最も私の興味を引いたのが、「世界の民族の中で、食事のときに器に直接口をつけるのは日本人だけ。だから日本人の唇は器に対してとても繊細なのです」ということ。さればこそ、陶器も塗椀もかくも豊かに発展したのだと。思わず膝を打った。以来、私は海外の友人知人に好んでこの話をすることにしている。

 本書は、そんな赤木さんが創作の拠りどころにしている美学者・柳宗悦が生み出した言葉「民藝」とはいったいなんなのかを、塗師という独特の立場で解釈した好著である。

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 本書では随所で柳の著作『美と工藝』からの引用文が使われ、「民藝」のひと言が繰り返し登場する。柳の言を追いかけながら、著者が己れの人生を賭して「民藝とは何か」「美とは何か」という命題に挑んでいるのがわかる。柳が発見した「民藝」「用の美」「下手(げて)の美」という日本人の精神的な宝を、著者はいまの時代に正しく継承し、次の世代にまっすぐ伝えたいと願っているのだ。

 著者は意識的に「民藝」の「藝」の字を本書で使っているが、それにはわけがあるという。「『民藝』を一義的に解釈してしまうと、『用』は単なる使用に、『下手』は単なる安価で雑多なものになってしまう。(中略)民藝は、そんな一面的で矮小な理解に留まるものではない」。日々の暮らしを丁寧に、美しく、豊かに楽しむこと、それが「用の美」であり、民藝のよさだと私たちは考えがちである。もちろん、それはそれでいい。しかし、柳が定義する民藝とは、そして著者が目指している民藝とは、日常の奥深くに潜む名もない「美」とひそやかに接続しなければならないものであるはずだ。

 著者は三十年まえに漆のことなど何もわからないまま塗師の道に入った。そしていまなおわからないという。その言いっぷりが清々しい。わからないからこそ求め、その先に何があるのか知りたいからこそ進む、それが求道である。民藝も美も同じだ。知りたい、近づきたい一心で、それがいったい何なのか、答えを探して創り続けるのだろう。

 本稿を書き上げるまえに、偶然、神戸の雑貨店で赤木さんの器に出会い、ついに手に入れた。これから毎日使い、眺めようと思う。私にも用の美がわかる日がくるだろうか。いや、きっとこない。が、それでいい。

二十一世紀民藝

赤木 明登(著)

美術出版社
2018年3月8日 発売

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