「『清純派が結婚してどうするんだ』っていう反対を押し切って結婚したんです。それで、松竹にいながら二人で『表現社』っていう独立プロをつくって、『心中天網島』でいろんな賞をいただいたんです。すごく仕事をやる気の旦那様と一緒になったんで、一緒に仕事に燃えて(笑)。いままでのんびりしてて『駆けずのお志麻』と言われてたのが、駆けてしまって(笑)。それから、どんどん意欲が出てった感じがしますね」(「実演家著作隣接権管理センターWeb」のインタビューより)
夫婦の独立プロは『心中天網島』(69年)などで成功を収め、すぐに軌道にのった。
結婚6年後の32歳で長女を出産し、母親となったことで女優としての将来に思い悩むが、篠田監督の『はなれ瞽女おりん』(77年)で後に「最も好きな役」と語る盲目の旅芸人を演じ、女優業を一生の仕事とする決意を固めた。
“おりん”のイメージが鮮烈だったため、徐々に強い女性像を演じる機会が多くなっていく。
『極道の妻たち』では着物をはだけての濡れ場も…
その代表が、40代で主演した映画『極道の妻たち』シリーズ(86~98年)だろう。ヤクザの情婦たちの壮烈な生き様を描いた大ヒット作だが、岩下は全10作のうち8作に主演し、シリーズの顔として完全に定着した。
『極道の妻たち』シリーズでは露出こそ控えめだが、ヤクザの妻として着物をはだけ、乱れさせての凄みさえ感じさせる濡れ場を演じている。
そんな岩下は、44歳の時には「近親相姦」という背徳的なテーマにもチャレンジしている。北泉優子原作の映画『魔の刻(とき)』(85年)だが、岩下が自ら企画を提案したという。
作家に映像化を依頼する手紙を自分で書き、プロデューサーにも声をかけてみずから主演したというから筋金入りだ。
岩下が母親役で息子役を坂上忍が演じたが、当時44歳の岩下が17歳の坂上に迫る演技はなんともなまめかしい。漁港の倉庫で大量の魚に囲まれながら最愛の息子を愛撫する姿は異様で、「狂気」を体現していた。
筆者は篠田監督に岩下の女優としての特徴を質問したことがあるが、「人間誰もが潜在的に持つ狂気を表現できる数少ない女優のひとりとして、自分の映画にはなくてはならない存在」という答えが返ってきた。
最愛の存在であり、女優人生の最良のパートナーでもあった篠田正浩監督の他界は岩下に大きな喪失感をもたらしたことだろう。今は何よりも名匠の冥福を祈りたい。
