役立たなくなったら消えろ
これらの説話が私たちの実人生とどうつながっているかといえば、これまではきれいで役に立つ存在だった人が、本当は老いて醜かったとかケガや病気をしていることが明るみに出ると排除されかねない、という刷り込みが見えてきます。
特に、説話に潜む「役に立たなくなったら消えろ」というメッセージは、年寄りには深刻でむなしい問題です。参拝すると寝たきりや認知症にならずに健康体のままぽっくりと往生できるという「ぽっくり寺」を巡るツアーが高齢者に人気だという冗談のような話を聞いたことがありますが、背後にはこうした圧力があるように思います。
他方、外国の異類婚姻説話に目を向けると、ハッピーエンドを迎える物語が多くあります。一例を挙げれば、グリム童話にも収録されている『カエルの王様』。困っていた王女を助けたカエルに、王女はベッドを共にする約束をしますが、いざ寝室へ行くと王女はカエルを壁に叩きつけようとします。ところがカエルの魔法が解けて、人間の王子の姿に戻り、2人は婚約することとなります。
ディズニー映画で知られる『美女と野獣』も似た話で、野獣は嫌われても去ろうとはしません。
最後は愛の奇跡によって同類化する、というのがキリスト教の宗教観を反映した説話なのでしょう。
比較すると、異類を徹底的に排除する展開は残酷ですし、この世に残る誰かにとっては非常に都合のいい物語でもあります。
だからこそ私は、日本人に刷り込まれた排除の説話を取り上げて「これは今の時代ありえない」と語ることが必要だと思っています。
他者から見た美醜や存在価値に左右されて、潔く去ることはありません。みっともないと言われても、そこにむなしさを感じることのできる「私」をかけがえのない存在だと自分で認めて、居座ってしまえばいいのです。
(取材・構成=秋山千佳)
※本記事の全文(約7100字)は月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」と「文藝春秋」2025年4月号に掲載されています(きたやまおさむ「むなしさにも付き合い方がある」)。全文では下記の内容をお読みいただけます。
仕事や若さを失うむなしさ
醜さを露呈できない
役立たなくなったら消えろ
アルフィー坂崎幸之助のこと
喪失を喪失した時代
どこにもたどり着かない
むなしさに「泥(なず)む」
