「裏の意味があるんでしょ?」ってよく勘違いされて

横道 発達障害と言えば、パートナーシップの問題も大きなトピックですね。定型発達者のパートナーは、発達障害者のどういうところを理解できると、お互いに楽なのか。『僕の妻は発達障害』のメインテーマかもしれませんけど。

ナナト 私の場合、人がたくさんいるのが苦手なので、実は自助グループにうまく参加できなかったんです。結果、夫とずっと自助会をやってきたようなものですね。小さな夫婦という間柄の中で、互いの何が違うのかをずっと話し合ってきました。

 我が家の場合は、大げんかになったり、収拾がつかなくなったら、紙を出してきて、ふたりで状況を絵にするんですよ。これは何を言っているのか?って漫画で描いているうちに笑えてくるので、クールダウンできます。私としてはストレートなことしか言ってないのに、「裏の意味があるんでしょ?」って勘違いされることがよくあったんですね。

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横道 わかります。我々の場合、裏はなくても、ズバズバと歯に衣着せない語り口を選ぶし、願望・欲望をストレートに行動に反映させやすいから、悪意を持ってワザと言ってる、やってると誤解されることが多々ありますね。

横道誠さん

ナナト そうなんです。それが夫婦間や、編集さんとのやり取りでも発生して大変でした。私としては他意はなく、直球で言ってはいけないことを言ってしまったりして……。

 だから、同じ人間の姿はしているけど、まったく違う感覚を持っている人がいることを知ってほしいというのが、切なる願いなんですよね。こちらがどんな癖を持っているのかまでは、知らなくていいんです。内面を見せ合うなんて、人間できなくて当たり前だから。でも、まったく違うタイプの人もいるんだという可能性に気付いてほしいなと。

「がんばれば、なんとかなるだろうに」という決めつけ

横道 発達障害の問題って、従来はもちろん障害ないし精神疾患の枠組みで語られてきたんですけど、最近はニューロダイバーシティ(脳の多様性)論の枠組みで、非障害的な観点から語られることも増えました。つまり発達障害者は脳のあり方が少数派、定型発達者は脳のあり方が多数派と考えるわけです。

 障害の問題として捉えると、目の見えない人に「ちゃんと見て歩け」とか、耳が聞こえない人に「人の話はちゃんと聞け」とは絶対言わないじゃないですか。身体障害者に対しても、「自分の足で歩くのが当然です」なんて求めない。ところが、発達障害や精神疾患に関しては、「本人の甘え」「努力不足」と批判されがちです。見えづらい障害だから、「がんばれば、なんとかなるだろうに」と勝手に決めつけられてしまう。

 非障害的な問題として扱うなら、発達障害は「特性」と見るべきなわけですね。シンプルに、多数派とは異なる特性を持っている少数派とみなす。例えば、草を食べて生きている草食動物に、美味しいからって肉をあげても、食べないのは当たり前ですよね。それなのに、「食べない方が悪い」「失礼だ」みたいな話にされてしまうのが、私たちの現状なわけです。「もっと普通になってください」なんて言われてしまう理不尽。

 これは人種問題に置き換えたら、ものすごくグロテスクな物言いであることがはっきりするんです。例えばアメリカで、少数派にあたるアフリカ系の子どもとして生まれたことに悩み、「白人の皆さんに申し訳ないから、もっと白人みたいになれるよう頑張ります」と言わせるとしたら、それってグロさの極みですよね。

ナナト ホントそうですね。