要するに、2人の関係はフィクションであっても、当時の吉原の現実がこの2人の姿によく映し出されている。だからフィクションの人間関係にリアリティーがあるのである。
仮に幼馴じみではなかったとしても、蔦重が瀬川と面識がなかった可能性はほとんどない。蔦重が吉原大門口の五十間道に書店を開店したのは、安永元年(1772)とされる。遅くともそのころには貸本業に勤しみ、吉原の妓楼や引手茶屋などに足繁く通って本を届けていたと思われる。
また、吉原のガイドブックである『吉原細見』を販売するだけでなく、『細見』のための情報を集め更新する「改め」の仕事もしていたので、そのためにも吉原をくまなく歩いていたはずだ。そもそも改めの仕事が得られたのも、吉原に精通していたからだろう。
禁断の関係になった男女が向かった場所
だから、蔦重と瀬川のあいだに信頼関係や、それを超えた相互の恋愛感情が、あったとしても不思議ではないし、なかったと言い切ることはできない。
ただし、吉原では女郎が吉原で働く男と恋愛関係に陥ることは固く禁じられていた。下働きの若者はむろんのこと、妓楼の楼主であっても厳禁だった。女郎は吉原にとって大事な商品であり、いわば資本だった。吉原で働く男がそこに手をつけ、秩序を乱してしまっては、商売は成り立たない。
だから、吉原の男は、近くの岡場所、すなわち非公認の遊里で遊ぶのが一般だったが、吉原内の恋愛がご法度だったのは、裏を返せば、現実にはそれが多かったからでもある。揚屋町の裏手には、通商「裏茶屋」という現代のラブホテルがあり、そこは禁断の関係になった女郎と吉原の男の逢瀬の場にもなっていた。
ただし、関係が発覚すれば、男は吉原を追放され、女郎は折檻を受けたり、別の店に移籍させられたりするなどのペナルティを科せられた。
『べらぼう』でも瀬川の花魁時代、彼女と蔦重がたがいの思いを公にしなかったのは、彼らが当時の吉原の掟に従って生きているように描かれているからである。現実には、吉原で暮らす男女のあいだにも、無数の恋愛関係があったようだが、いま述べたような理由で、歴史に記録されていない。そのなかに蔦重と瀬川というカップルがあったとしても、少しも不思議ではない。
だから、蔦重と瀬川の関係はフィクションであってもリアルなのである。
歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に『お城の値打ち』(新潮新書)、 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。
