2人が幼馴染だった可能性は…

一方、五代目瀬川については生年もふくめ、前半生のことがなにもわかっていない。わかっているのは、妓楼の松葉屋に伝わる名跡「瀬川」を継いだのち、安永4年(1775)に鳥山検校によって身請けされた、という一事に尽きる。

したがって、もうおわかりと思うが、蔦重と瀬川が幼馴じみで相思相愛の関係にあった、というのはフィクションである。だが、その描き方に違和感を覚えるかといえば、私には違和感はほとんどない。以下にその理由を述べようと思う。

瀬川の生年はわからないが、身請けされた年がわかっているので推測はできる。禿(かむろ)や振袖新造を経て、女郎が一人前に客を取りはじめるのは16~17歳ごろが多かった。そこから呼出しや昼三といった花魁として認められ、「瀬川」という名跡を継ぐまでには、それなりの時間がかかったとするなら、身請けされた安永4年には20歳は過ぎていた可能性が高いのではないだろうか。

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蔦重は瀬川が身請けされたときには、満年齢で25歳だった。瀬川と同じ年齢だった可能性も否定はできず、年齢差があっても4~5歳程度なら、同世代といっても差し支えなかろう。女郎は一般に、子供のうちに貧しい農村などから吉原に売られてくるケースが多かったことを思えば、吉原で生まれ育った蔦重と瀬川が幼馴じみだった可能性は、決して低くはない。

「べらぼう」が描く吉原の現実

蔦重は前述のとおり、幼くして実の父母と引き離され、幼少期に困難を強いられたことは想像に難くない。「べらぼう」では、蔦重も瀬川もともにつらい幼少期を過ごしたため、答えが出ない事柄の前ではいつも、楽しい空想を巡らせてきた、という設定になっている。

むろん、史実の2人についてはわからないが、2人がともに楽しいことでも考えていないと気が紛れないような、つらい幼少期を過ごした可能性は高く、仮に本当に幼馴じみだった場合、意気投合したとして少しも不思議ではない。