「母親」を演じると決めた理由

『かくしごと』の物語は、千紗子が認知症になった父親の介護のため故郷に戻ったところから始まる。そこで彼女は、事故で記憶を失った少年と遭遇し、その体に親から受けたと思しき虐待の痕を見つけたことから、彼を守るため、自分があなたの母親だと噓をつき一緒に暮らすようになる。

 なかなかにショッキングな内容だが、それでも杏は《母親としてさまざまな経験を積んだ今の自分なら、噓をついてまで彼と親子の関係を築こうとする千紗子を演じられる気がしましたし、演じたいと思ったんです》として、この役を引き受けたという(『PHP』前掲号)。

映画『かくしごと』(2024年)

 あまりに重い役どころとあって、公開時のインタビューでは、演じているあいだ圧迫感や恐怖心につきまとわれたりはしなかったかという質問も受けた。だが、これに対して彼女は《それはないかな。千紗子は自分自身と重なるわけではなく、千紗子という友人がずっと一緒に居るような気持ちに近い。だから千紗子の人格を尊重したい、千紗子をもっと知りたい、宜しくね、みたいな感覚で。千紗子にとって楽しい思い出や涙の思い出を一杯一杯思い浮かべて……。そういう妄想には結構、時間を費やしました》と答えている(「LEE」ウェブサイト2024年6月6日配信)。

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 俳優にはさまざまなタイプがいるが、杏はいわゆる憑依型ではなく、役に対して、あくまで自分と切り分けた上で、できるかぎり調べたり想像したりしながらアプローチしていくタイプなのだろう。