忘れがたき「老いの達人」たちについて綴った新著『老いの思考法』が話題の山極寿一さん。日本の霊長類学の創始者・今西錦司さんに学んだ“老い方の知恵”を、月刊「文藝春秋」5月号から抜粋してお届けします。

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山極寿一さん 撮影・釜谷洋史(文藝春秋)

今西さんが大切にしていた「初登頂の精神」

 僕ももう73歳、糖尿病の病気持ちです。わが身に老いを感じることが増え、影響を受けた3人の個性的な恩師たちの晩年の姿をよく思い起こすようになりました。

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 まず、僕が長年、考え方の指針にしてきたのが、日本の霊長類学研究の創始者・今西錦司さん(1902~92年)です。

 僕とは50歳も違いますから、直接師事したわけではありません。僕が京都大学に入学した時には、すでに岐阜大学の学長でした。ただ、毎年愛知県犬山市にあった京大の霊長類研究所で行われるホミニゼーション研究会などでご一緒して、その学知と生き方を目の当たりにしました。そして、「自然とどう向き合うべきか」という学問に対する本質的な姿勢を学びました。

「なぜ世界にはこれほど多様な生物が満ちているのか?」という問いに対して、競争と適応による自然淘汰を打ち出したのがダーウィンの理論です。それに対して、今西さんは種の中の共存に着目し、個体と環境は相互に影響し合い、種全体が主体的に環境との関係を変えて進化していくと考えた。

生物は環境と相互に影響し合っている ©山極寿一

 優れた思索家であると同時にアルピニストでもあり、フィールドワークで調査に出ることが思考の原点になっていました。虫や植物の生態に非常に詳しかったので、自然の変化に目を向ける登山が思索の時間にもなっていたのでしょう。

 そんな今西さんが、生涯を通して大切にしていたのが「初登頂の精神」です。誰も登ったことのない頂きに登ることを目標にしていた。その精神は、今西さんが晩年まで持ち続けた学問に対する姿勢そのものでした。そうして「生物社会学」という新たな分野を切り拓いた今西さんは、歳をとればとるほど明晰さを増していった方でした。大変な勉強家で、晩年になってからダーウィンの進化論を原書ですべて読み返してみたり、古今東西の歴史を自らの経験に照らし合わせて熟考されたりしていた。