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党人派の民族主義者
風見鶏だったからこそ、5年も政権を続けられた。しかし、日米地位協定の改定には手をつけなかった。ドイツやイタリアはやったのに。
本来は、国家の独立や憲法改正を強調する党人派の系譜を受け継いだ民族主義者で、吉田茂から続く経済優先の官僚政治に対抗意識を持っておられたはず。責めるつもりはないが、画竜点睛を欠いたと思うな。
2003年、小泉純ちゃん(純一郎)が73歳定年制を「例外なく適用する」として公認を出さなかったから、怒ってたよ。中曽根派後継の志帥会を率いていた俺は、純ちゃんが仁義を切りに来たとき、2人が対面する部屋の外にいた。「無礼者」という怒声が耳に残っている。
先生は「終身比例代表1位という党の約束を守れ」と訴えたが、純ちゃんは義理や人情に関心のない新人類。2人とも大統領型と呼ばれたけど、中曽根先生が求めた義理も人情も、純ちゃんには通じなかった。
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このコラムは、いまなお輝き続ける「時代の顔」に迫った『昭和100年の100人 リーダー篇』に掲載されています。



